自堕落な楽園

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自堕落な楽園

 次の日から朝目が覚めてもベッドから起き上がれなくなった。スマホを片手に毛布を被ったままゲームに興じる。 「起きなさい、遅刻するわよ!」 母が階段を昇り部屋に入って来る気配がする。スマホを慌ててベッドサイドに置き寝たフリ。毛虫のように毛布にくるまって横を向く。 「仕事に行くからさっさと起きてご飯食べて。遅く起きるなら洗い物くらいしなさいね」 母は忙しなく階段を降りて、バタバタと朝の支度をすると仕事へと向かったようだ。父はとっくに出勤している。朝早く起きて、母が作り置きした朝食を温めて食べて、職場近くの運動公園で軽くウォーキングしてから出勤するのが日課。  大学生の兄は東京で一人暮らし、家にいない。誰もいなくなった家、静まり返った部屋に時計の秒針の音だけが響く。ベッドサイドのスマホに手を伸ばして、オンラインゲームの続きに戻る。しばらくすると、向かいのマンション前で小学生の登校班の集まりの賑やかな声が聞こえてきた。 「行ってらっしゃい」 「いってきまーす!」 「当番は初めてですがよろしくお願いします」 「こちらこそ、国道前の信号から先はシルバー人材さんがいるんで大丈夫ですよ」 子供と母親らしき人達が挨拶を交わす声が響く。朝起きて身支度をして学校に行く。昨日まで私も送っていた、正常な日常生活から目を逸らすために、ゲームは止めて、イヤホンを付けてスマホのサブスクで音楽を聴く。  朝の通勤通学の車や自転車の気配が消えるまで、音楽を聴いて目を閉じていた。学校に行かなきゃという気持ちはとっくに萎んで葛藤すらなかった。スマホの充電が切れそう。充電器にスマホを差して、カーテンを閉めたまま電気を付けて昨日読んでいた文庫本の続きを読み始める。ベッドに横たわったまま、朝ご飯も食べずにアザラシのように寝そべって過ごす。  自堕落の楽園は心地良かった。昼少し前にのそのそと起き出してご飯を食べて、洗い物をした。趣味のピアノを弾く気力は流石にない。やることがない手持ち無沙汰を解消するために、新聞を読んだり、オンラインゲームをしたり、気の向くままに一日を過ごしていた。  夕方になると、学校を休んだ言い訳を必死に考え始めた。ベタだけど頭痛にしよう。市販の解熱鎮痛剤を飲んだことにするために、一日三回分の一日二回に相当する量をトイレに流す。頭痛の言い訳は何日持つんだろう…。重苦しい悩みが自堕落の楽園に暗い影を落とした。
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