記憶の彼方へ

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記憶の彼方へ

 どうして昔の夢なんて急に見たんだろう。寝汗と動悸が止まらない。今の私は私という存在をゆっくり作り直してる途中なのに。時計は深夜三時を示して、夜の静けさの中、冷めた風を密やかに運ぶに音が聞こえる。家の北側に申し訳程度に植えた椿と雪柳の葉が葉擦れの音を奏でている。  眠りたくても眠れない。寝ぼけ眼で起き出して、マイボトルに淹れてあるアールグレイのアイスティーを飲み、パウチタイプのマスカット味のゼリーを流し込む。人工的な爽やかなマスカットの味は、甘ったるいストロベリー味を誘う。栄養補助食の小さなカップにストローを刺して、シェイクの出来損ないみたいなストロベリー味を機械的に補充する。最後に無糖のアールグレイティーの渋みでしめる。  目が冴えてきた。嫌なことは何も考えたくないから、机の上に出しっぱなしにしてある100色の色鉛筆と、クロッキー帳に向かう。 「何でもいいんですよ、散文、絵、習字。思うままに色と言葉を載せていくだけ」  一風変わった作業療法士の坪山の言葉を思い出した。作業療法士は、心のリハビリテーションでも活躍出来る所が理学療法士との違いだそうだ。手先を使った工芸や絵の製作などを支援する。坪山はB型作業所と呼ばれる障害者通所施設で、障害者の作った、手芸、工芸、絵画などをネットショップを使って販売する取り組みをしている。 「完璧じゃなくていい。一人一人の作家さんに芸名を付けて匿名性を担保して作品を売る。少しずつ病状が回復して作品が上手く作れるようになる。体調が悪いときのクオリティは三歩進んで二歩どころか、五歩下がるかもしれない。それでも障害と共に生きる姿を、作品と共にストーリーとして売り込む。今までのB型作業所ではやらなかったことをここではやります」  B型作業所は最低賃金が保障されない。毎日通っても月に数千円の工賃が限界。その代わりに自分のペースに合わせて作業が出来る。最低賃金が保障されるA型作業所とは違い、障害者の居場所を作りとやりがいを重視する。しかし、坪山は利用者に払う工賃を少しでも上げるために、ただの作品のネットショップ販売ではなく、障害者が生きる姿をストーリー仕立てにした、マーケティング戦略を行っていた。  そして、障害があることは隠すことではなくオープンにするべきという、最近の施設運営の流行には懐疑的だった。将来、利用者の障害は最新医療により改善されるかもしれない。「寛解」という完全に直らなくても普通に働くところまで快復するかもしれない。そのとき、障害者就労や作業所で顔を出して本名でホームページなどに掲載されていれば、「この人は障害者だった」という消えない事実が残ってしまう。障害者に偏見のある人に見つかれば一般就労が困難になる恐れすらある。  支援者は利用者の利益のために最善を尽くす。これが坪山のモットーだそうだ。  顔を伏せ本名ではなく芸名を使い、写真の代わりにイラストでプロフィールアイコンを作る。作品と共に、障害者の葛藤や成長をネットショップ内でキャラクターを使って、「ドキュメンタリー」のように伝える。障害者が出演する公共放送の教育チャンネルのある番組を観て、坪山はこのアイデアを思いつく。県南の地主のボンボンの彼は、親に開業資金を出してもらった。今まで勤めていた、安定した精神科病院デイケアの仕事をあっさり辞めて独立したそうだ。 「坪山さんこそ、公共放送の人生と仕事にフォーカスする、あの有名番組に出たらいいのに。作業所の宣伝になる。堅い公共放送のテレビにウケそうな福祉系の起業話だよね」  私は独り言を呟きながら、色鉛筆で描いたベビーピンクのレース模様の花の真ん中に、ビーズを散りばめたような赤い花芯を足していく。  作業療法で絵を選んだのは一番下手だけど好きだから。本当は詩を書いたり物語を書く方が好きだけど、好きなことで失敗して誰にも評価されないことが怖い。元々下手なことなら失敗しても評価されなくても傷つかないで済む。  私には普通の18歳の女の子が経験する、キラキラした青春なんてどこにもない。障害者として平日はB型作業所や精神科病院に通い、日曜日は編入した通信制高校のスクーリングに通う。進学校から通信制編入したから、レポート、スクーリング、テストも簡単。鬱で体調が悪くても単位は取れる。  私にもしも青春というものがあるとしたら、それはこの下手くそな絵の中に描いた世界だけだろう。SNS用のスタンプ、壁紙、アイコン。紙モノ文具では送料や製作コストが比較的安いフレークシール、見開きのメッセージカード、ポストカード等を作る。  昨日、私が作業所で作って売っている作品を、ネットショップで見た母が吐き捨てた。 「薄く弱々しい色と線。こんな花はどこにもない。絵が下手なのに売れる訳がない」 母の毒舌を嗜めるように父はパソコンの画面を見て呟いた。 「儚くて繊細、かわいい花のイラストじゃないか。唯花は名前の通り花が好きな子に育った。それだけで、生きてるだけで…いい…」 父の言葉は私を励ます意図と、もう二度と大太刀回りはしないでくれという怯えが籠められて掠れていた。  二年前、母に無理矢理病院に連れて行かれそうになった私は、台所の水切りカゴにあった包丁を利き手の左手で握り、右手首を何度も切りつけた。呆然として取られて身動きが取れない母は、急に何かを思い出したように父に電話をしていた。その間も手首に刃を押し宛てて切り裂く。痛みは感じなかった。傷口の血の筋は、お酒のおつまみとして売られる、パッケージに入った規則的に並ぶいかそうめんみたいに見えた。  それから、精神科に緊急入院をして大きな病院で入院と通院。暫くしてから大きな病院から紹介されたメンタルクリニックに通うようになり、高校は通信制に編入した。メンタルクリニックの受付近くの棚で、坪山省吾が経営するB型作業所のリーフレットを見て存在を知った。 主治医は快く診断書を書いてくれた。障害者手帳が無くても作業所を利用出来る仕組みがあり、まだ高校生の私が障害者という結論を出すより、診断書で手続きして回復を待つ方がいいだろうと気を遣って。ところが母は作業所というモノが嫌なのか、主治医に喚き散らすばかりで話にならない。これでは気まぐれに付き添いに来る、母の方が重篤な精神病患者に見える。私は父に有給を取ってもらい、父と主治医と私の三人で作業所通いの話を進めて行った。  蚊帳の外の母はいつも不機嫌で文句ばかり言って、父がいないときを見計らったように、私を「落ちこぼれの出来損ない」と罵った。私は何か言い返す代わりに、無言でティーカップのソーサーを母に向かって投げつけた。母が私を罵ったり嘲笑ったりする度に、家の食器棚が寂しくなっていく。製氷皿にびっしりと並んだ四角い氷が、所々欠けてクロスワードパズルみたいになるように、食器棚はアンバランスなパズルのように、ダークブラウンの空白が増えていった。
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