売れると上手いは相関しない

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売れると上手いは相関しない

 B型作業所へは自転車とバスを乗り継いで行く。自転車で通えない距離ではないけど、鬱になってから体力も落ちた。自転車をT県のターミナル駅、U駅の市営駐輪場に停めてバスに乗る。このバスはU市郊外にある大病院にも乗り入れていて、比較的本数が多い。大病院の近くにはクリニックや障害者通所施設、老人保健施設などが立ち並んでいる。元々田畑だったその土地は大病院誘致で再開発された。  大病院の他に、洒落た結婚式場もあるホテル、ショッピングセンターなども造られた。郊外の新しい街は、市の中心街に対抗するように都会的な雰囲気を目指していた。少し歩けば田畑が現れ、晴れて空が澄みきった日は日光方面に男体山が見える程田舎なのになんだか滑稽だ。  U市の中心街には、東京に本店がある有名百貨店の東武。地元の人が親しみを込めて二荒さんと呼ぶ二荒山神社の前には、若者文化の象徴として名高いPARCOがあった。東京のPARCOとは比べ物にならないほど地味だけど、PARCOがあると地方が都会に見える。田舎者にとってPARCOのロゴは光輝く魔法のように魅力的だ。そのPARCOが閉店してしまい、一気に田舎臭くなった。中心街は格安が売りのディスカウントストアがかろうじて生き残った。ディスカウントストアから近い、オリオン通りと呼ばれる商店街には、オタク御用達で有名な商業ビルがある。この商業ビルは昔、LOFTとして建てられたらしい。東京を感じられる、お洒落雑貨のLOFTが来たと当時は盛り上がったそうだ。90年代にやってきたLOFTはかなり前に撤退して、入れ替わるように表通りに建てられたPARCOも撤退。  中心街が元気を無くした代わりに、一度は撤退したLOFTをテナントに入れた地元百貨店のショッピングセンターが郊外で破竹の勢いで急成長している。ショッピングセンターと大病院を通り過ぎてニュータウンの小高い山のような団地の手前でバスを降りる。  そこから少し歩いて、B型作業所「アート・ルーズリーフ」にたどり着く。三十代半ばの作業療法士の坪山省吾、障害者福祉のベテランでケアマネージャー資格も持つ五十代前半の蛯沢百合子、介護士の四十代の渡辺直子と、早く来ている何人かの利用者が談笑していた。一番年齢が近くてよく話す東成田彩美、通称あやさんもいた。あやさんは実は前に通っていた高校の先輩で、私と同じように中学1番高校300番の壁にぶち当たって病んでしまったそうだ。5歳上の22歳だから、二人とも学校に通っていたら知り合いになれなかった。 「ゆいちゃん、おはよ」 あやさんはスタバのカップを片手に少し眠そうに挨拶をしてくれた。 「おはようございます。新作は美味しいですか?」 あやさんのカップから苺の香りが漂う。 「これね、T県限定の苺味なんだって。全部の都道府県で限定商品出してるから試しに買ったら美味しかったよ」 あやさんはスタバの新作に目がない。そして、ミルキーピンクの苺味が入った透明なカップに添えられた指先は、ミントグリーンにレモンイエローのドッドが入ったかわいいネイル。あやさんは、ネイルチップを作成して「アート・ルーズリーフ」のネットショップで販売している。 「苺味、美味しそう。でもあやさんのネイル見てたらレモン牛乳も飲みたくなります」 あやさんはクスクスと笑って、地爪のネイルをまじまじと見返す。 「あ、本当、これレモン牛乳の色だ。草原に咲くタンポポをイメージしたけど、もうレモン牛乳にしか見えない」  県外から旦那さんが家業継ぐためのUターンでT県に来た介護士の渡辺直子さんは首をかしげて聞く。 「レモン牛乳?イチゴ牛乳じゃなくて?」 あやさんは渡辺さんに栃木名物レモン牛乳の画像をスマホで探して見せてあげた。 「へえ、美味しそう。今度飲んでみますね」  お喋りをしているうちに作業開始の午前9時になった。簡単な朝ミーティングが始まる。朝ミーティングは簡単な挨拶とネットショップの売上報告から始まる。坪山さんがあやさんの芸名と売上金額を発表する。あやさんのネイルはネットショップの人気商品。今日来ている作業所の利用者の殆んどは、また売れたのはあやさんだけかと思っている。自分の名前が呼ばれないからあからさまに退屈そうな顔をする人もいる。私は純粋に凄いなと思ってるから、売上報告の後に皆でする拍手に熱が入る。 「そして、嶋野春花さんこと野島唯花さん。桜レース、フレークシール一点、230円。売上が立ったのは初めてですね、おめでとうございます」 作業療法士の坪山さんは私の名を呼んだ。予想外の売上報告にあやさんは大きな拍手をしてくれる。でも、古参の利用者は驚きを隠さずにぽかんとしている。お局様として有名な江口さんという四十代前半の利用者さんが、隣にいる気の弱い鈴木さんという三十代後半の女性利用者さんに囁く。 「あんな下手な絵がなんで売れるの?」 鈴木さんは必死にシーッと人差し指を口に宛てて、江口さんの問いには答えない。私の耳にもしっかり聞こえてきた。坪山さんは江口さんを叱るのではなく、なぜ私の作品が売れたか説明してくれた。 「この図はネットショップにおける、お客様のサイト内巡回の導線を示したモノです。嶋野春花さんの作品は、嶋野さんの生き様と苦悩、これからの希望を綴ったアニメーション動画が再生された後に売れました。実際には野島さんが身バレしないように脚色してありますが、動画コメント欄には『私は通信制高校ではなく高卒認定試験を受けて、今はなんとか大学生になりました。応援してます』、このコメントを書いた人が購入しています。作品や商品にその人がどんな思いを込めて、どんな人生を歩んで来たか。人はネットで買い物をするときに、ただモノを買うだけでなく付随するストーリーも買っています。野島さんは僕が考えたマーケティング戦略の有効性を実証してくれました」 坪山さんの淀みない説明。今まで、プロフィール欄やアピール動画、サイトに書くブログに一切興味を示さなかった江口さんは腕組みをしたまま皮肉混じりに答える。 「じゃあ私も18歳の女子高生でプロフィールを書こうかな?作品の良し悪しが無関係ならJKブランド使えば売れるでしょ?」 坪山さんは江口さんの皮肉にもめげずに笑顔で答える。 「身バレ防止の脚色は最低限やりますけど、売りたいがための経歴や年齢の詐称は認めませんよ。お客様には誠実に真摯に向き合う。これは客商売の基本ですからね。そしてその人が一生懸命作っているのって自然とお客様にも伝わるものなんです」 江口さんは一瞬肩をすくめてから言い返す。 「一本取られたわね。じゃあちょっと盛るくらいならいいでしょ?元旦那とは離婚だけど離婚と書くとねぇ。刺繍が趣味だったのを元旦那は知ってる。作品から身バレするから、旦那とは死別して子供がいることにしたい。アイツにバレたらこの作業所にまで金の無心に来るかも。死別で子供がいる設定に変えれば私だとわからないし、坪山さんがやりたいストーリー戦略にはうってつけの設定。夫と死に別れた子持ちのシングルマザー。子供のお小遣いのために手芸作品を売る健気な母」  「まあ、身バレ防止のためなら…致し方ないてすね」 頭の回転が早い江口さんに坪山さんは押し切られた。それにしても、病気療養中の別れた奥さんにお金の無心に来る非常識な旦那さんって一体なんでそんなことになったんだろう。私は、いつもトゲのある物の言い方をする利用者の中のお局様の江口さんには、江口さんなりの複雑な事情があるんだろうなと思った。  一生懸命作っている作品はお客さんに伝わる。だから坪山さんは作品紹介やプロフィールやアピール動画の作成に力を入れてんだ。私のパースの狂った桜の花のフレークシール。花びらをレースで現そうとして、細かい線が沢山描き込まれた神経質な桜。その細かさが示す病んでる感と、病んでるときならではの、残る気力を振り絞った感。  坪山さんは作品のアピールポイントを探すのが本当に上手い。紙モノ文具の下絵作成の作業をしながら、この作業所に通い始めたばかりの頃を思い出した。 「売れる作品と上手い作品は必ずしも同じではないんだ。売れると上手いが相関関係にならない。そんな世界だからこそ誰にでもチャンスがあるし面白い」 私がネットショップへの出品を躊躇っていると、以前に売れた作品の数々とデータを坪山さんは見せてくれた。売上と相関があるのは、作品の出来よりもその人が語る人生や闘病生活の物語性だった。 『売れると上手いは相関しない』 坪山さんの言葉を信じて、半年間地道にやって来て良かった。たった230円でも自分の売上が立てられた。幾らなんでも絵が下手過ぎるから、もっと上手くなりたい。病んでからは頑張ってという言葉が嫌いだったけど、少しだけ頑張ってみたくなった。  
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