10人が本棚に入れています
本棚に追加
衝突
「社会を舐めるんじゃないよ!」
母の怒声は凄まじい。母が拘る四大とは当然のように昼間部で、通信制大学の就職に弱そうな文芸学部は論外だと相手にもされなかった。毎回仲裁に入る羽目になる父だけが理解を示してくれた。
「東京でスクーリングが出来るこっちの大学の方がいいんじゃないか?」
私が頷くと、母が邪魔をしてくる。
「こんな所を出ても就職出来ないでしょ?」
母の侮蔑の眼差しに、私は予め用意しておいたとっておきのカードを切る。
「国語科の教員免許も取れるから。履修科目は多くなるけど、この二つのどちらかがいい」
母は母で切り札を出す。
「免許は取れても採用試験に受からなきゃ意味がない。こんな所に行くくらいなら予備校で一浪してせめてU大教育学部に行きなさいよ。T県で教員といえばU大。U大にあらずは教員にあらずってほど採用試験に強い。楽して文芸なんか専攻にしたら就職は絶望的よ」
言い返せずに戸惑っていると父が助け船を出してくれた。
「唯花は高校を四年かかって卒業する。そこから一年浪人生活をすれば二浪扱いになる。大学生活で二歳下の同級生はなかなか人間関係が難しい。様々な年齢の人がいる通信制の方が今の環境と似ていて、馴染みやすいと思うぞ」
「そうやって甘やかすだけなら私だって出来るわよ、やろうと思えば。でもね、就職を見据えて大学は選ばないと一生苦労する。どうしてもその通信制大学の文芸学部とやらに入りたいなら、アルバイトで働きなさい。通信高校のレポートも試験も簡単過ぎて暇なんだから。入試なんて共通テストの点数すら関係ない、全入でしょ?自分で働いて社会の厳しさや学歴の重みを知って頭を冷やせ!このバカ娘!」
母は、目を剥いて食ってかかってきた。
「『アート・ルーズリーフ』は辞めろってこと?」
私は怒りを抑えて震える声で恐る恐る聞く。
「当然でしょ?お年寄りのデイサービスと何ら変わらない、ただの暇潰しだもの。アルバイトで働いて高校卒業までその仕事を続けられたら、金持ちの道楽みたいな文芸学部でも許してあげるわ。どうせあんたみたいな打たれ弱い人間は、アルバイトも続かないだろうし。大人しく予備校で一年勉強すればいいのよ。地元で国語教員になりたいならU大が一番の近道」
母は自分が正義だと信じて疑わない。
母は私を支配しようとする。
かつての母は四大進学を諦めて、祖父母の言いなりになって短大の英文科に進学した。母は私のためを思っているようで、本当は若い頃の自分を見てるんだ。
U大に行きたいのは私じゃない。
U大に行きたいのは若い頃の母だ。
若い頃の母が怨めしそうに私を睨んでいる。
でも、働く厳しさを知らずに通信制大学に通うのは確かにリスクが大きい。
「わかった…。『アート・ルーズリーフ』は辞めてアルバイトを探してくる。卒業まで続けられる仕事を必ずね。私は私の道を行く。どんなにお母さんが冷や水を浴びせ掛けても、私は自分の意志を曲げない!お母さんと私は違う人間なの!いい加減わかってよ…」
絶叫した後は、歩き疲れてくたびれた猫のようにか弱い声になっていた。もうこれ以上話しても無駄。私は二階の自分の部屋に逃げ込んだ。
最初のコメントを投稿しよう!