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順番が回ってきた。
我が家に、響少年がやってくる日。
「……ごめんね」
私は。形が崩れた卵焼きの皿を差し出しながら、泣きたい気持ちで言ったのだった。
「少しでも、奇麗なものを作ろうと頑張ったんだけど。私、不器用だからこんなんしかできなくて……」
「とんでもないです、美味しそうですよ。いただきますね」
「うん……」
美味しそう、なんて。絶対そんなことはない。味に関しては多分問題ないが(端っこ部分を味見したからだ)、それだって彼の好みにあっているかわからない。全体的にまだらに焦げているし、“巻き”が甘くてほどけかけている。しかも、あちこちぼろぼろに崩れて、なんとも不格好だ。
少しでも綺麗なものを食べて欲しかったのに、何で自分はダメダメなんだろう。そう思う私の前で、響は卵焼きを一口食べた。そして。
「うん、美味しい!」
花が咲くような笑顔で言ったのである。
「ちょっと塩気が多めで、舌にぴりっと来ます。それでいてちゃんとみりんとお砂糖の甘さもある。しっかり日が通っているから香ばしいし、中身はちゃんとふわふわです。とっても美味しいですよ!」
「本当に?」
「うん、本当に?」
「……お世辞じゃない?響くんが、卵焼きが特別好きだから美味しく感じるだけじゃなくて?」
思わず捻くれたことを言ってしまった。すると彼は、困ったように笑ったのである。
「僕、卵焼きは大好きですけれど、一番好きな食べ物ではないですよ」
「え?」
「でも、会ったばかりの人には、卵焼きを作って食べさせてほしいと言います。どうしてだかわかりますか?」
私はぽかん、として固まってしまった。
どうして、なんて深く考えたことはなかった。彼が卵焼きが好きだから、としか予想していなかったのである。
ただ、よくよく考えると、出会ったばかりの友達に“家で卵焼きを食べさせて”と頼むのはなかなかハードルが高いような気がする。実際、クラスでは“それはちょっとむり”と断ったはずだ。家に友達が来ること自体避けたい家庭もあるだろうし、料理を食べさせることが難しいケースもあっただろう。
「僕は思うんです。卵焼きこそ、一番その人の心が出る料理だって」
彼は二つ目の卵焼きを口に運び、うんおいしい、と再び呟いて告げる。
「んぐっ……ごくん。……卵焼きって、子供でも練習すれば作れるようになる料理でしょう?でも、苦手な人も当然いる。でもって、家によって全然味が違うんです。しょっぱいものが好きな人、甘いものが好きな人、ちょっとミルクを入れる人……などなどまちまちなんですよね。だからいい。その人がどういう性格で、どういうことを思って、どういう気持ちをこめて卵焼きを作ってくれるのか。その料理を食べればわかるって、僕はそう思います。半分は、お祖父さんの受け売りなんですけど」
「響くん……」
「橋本麻耶さん。貴女は、料理が苦手なのに一生懸命卵焼きを作って僕に出してくれました。そして、一生懸命、自分が美味しいと思う味を探求してくれたんだってわかります。貴女はとっても良い人です。僕は、貴女と友達になりたい」
その言葉に。私はさっきとは別の意味で、涙が零れそうになったのだった。
卵焼き一つで、そこまで読み取ってくれる人は初めてだった。同時に、私の頑張りを認めて貰えたようで、泣きたいほど嬉しかったのである。
だから、こう返したのだ。
「……私も、響くんと友達になりたい。次は、響くんが作った卵焼きが食べてみたいな」
「オフコース!喜んで!」
「ふふっ」
初恋は、卵焼きの味。
人と人の絆も、まずは相手を知ることから始まる。恋を実らせられるかどうかは私次第。千里の道もまず一歩から、だ。
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