3-1. 実親・義親①

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3-1. 実親・義親①

 忍び寄る空気の冷たさに、千和はぼんやりと目を覚ました。家の中はしん、と静まり帰っている。隣のベッドは、空っぽのままだ。 (いつの間にか寝ちゃってた…… 崇得(たかとく)さんは? )  スマホを確認する。  時刻は、11月1日(土) 午前4時28分。  もし日曜日に義両親が来なければ、朝早くの飛行機に間に合うように急いで支度をしていた時間だ。  時刻の下に、ラインの新着メッセージが表示されていた。 崇得 『終電逃した。夕方までに帰る』 千和 『わかった。夕食はどうする? 』  崇得は今、インターネットカフェで仮眠でもとっているのだろう ―― 千和は思ったが返信ではあえて、そのことには触れない。  興味がないからではなく、以前に尋ねて 『うるさいな。関係ないだろ』 と言われたことがあるからだ。  千和が中学生のころに読んでいた漫画では、そう言われた者はほぼ100%、 『関係なくなんかない! 』 などと答えていたものだが ―― 彼らがいかにメンタル強者であったかが、今の千和にはよくわかる。 (家族になったから、崇得さんも遠慮せずに言いたいこと言ってくれてる、っていうのはわかるんだけど…… それでいちいち傷つくのは、わたしが悪いんだろうけど…… 心配なら、関係ないって言われても聞いてみるべきなのかもしれないけど…… )  正直なところ、無事なことがわかっている夫の所在確認よりは、自分が傷つかないほうを優先したい。  SNSを少し確認して、千和は再び布団に潜り込んだ。  結婚して以来、ゆっくり眠れる朝は久々だ。 (旅行は無くなったけど、朝ゆっくりできるのも…… これはこれで、幸せ)  結婚する前に思い描いていた幸せとは、まったく違う。こんな幸せなら独身のときのほうが、たくさん持てていた。  ―― けれど、これ以上は考えないでおこう、と千和は目を閉じた。  思い通りの幸せでなければ幸せでない、というスタンスは、不幸しか招かないのだから。  次に千和が起きたときには、9時になっていた。意外と疲れていたのだろうか。よく眠ったものだ。  崇得は、まだ帰ってきていない。 (朝ごはん…… そうだ、せっかくだから公園に行こう。コンビニで適当に買って、黄葉見物でもしながら食べよう)   決めると、寝起きの身体が一気に軽くなった。  学生時代、徹夜で勉強した明けがたに、ひとり家を出て散歩したことを思い出す。あのころは、家族が寝静まっているひとときだけが、家で千和が自由になれる時間だった ――  起き上がって歯磨きと洗顔を終え、着替えを探す。コーディネートは、流行よりも気分に沿っていることのほうが千和にとっては重要。  秋らしいレトロなタータンチェックのワンピースにぴったりしたレギンスとショートブーツを合わせることにする。  玄関脇の鏡でスタイルを確認していると、崇得からラインがあった。 崇得 『夕食いる。たまには作って』  せっかく楽しかったのに…… つい、ためいきが出てしまう千和。 (たまには、とおっしゃってますが崇得さん! 基本、平日の食事はわたしが作っているという事実をお忘れでしょうか。たしかにあなたは休日の夕食を作ることが多い。しかし実質、経済観念が疑われるような高級肉を買ってきては焼くだけです。しかも、後片付けするのは常にわたしなのですが、その辺はノーカンですか? )  思ったことをすべてメッセージにすれば、おそらくは 『おまえが作るメシは貧相で手抜き』 『後片付けくらい大したことないのに怠け者』 といった返答があるはずだ。あるいは、まったく読んでいないのがすぐわかる、バカにしたような 『はいはい』 か ――  はっきり言えないのではない。  言えばより傷つくことがわかっているから、言わないのだ。 (結婚前にはなかった、てことは、それが悪いことなのはわかってるはずなんだよね。なにかな、このひとにとって奥さんってサンドバッグかなにか? …… とか、これ以上は考えてもしかたないか)  了解、とスタンプを送りながら、千和は、また深々とためいきをついた。 ***** 「公園はもっと人が多いかと思ってたけど、意外と少ないな、公希(まさき)」 「………… 」 「イチョウもすっかり色づいて、きれいだな。こういうの見ると、おじさんは有名な短歌を思い出すんだ。与謝野晶子っていう人が作ったやつ」  ―― 金色のちひさき鳥の形して 銀杏ちるなり夕日の岡に ――  口ずさむ弓弦を、手をつないだ公希が見上げた。特注の肉襦袢を着こみ頬に含み綿を入れたデブ装備で出掛けた、公園の入り口である。  おとなしい甥は相変わらず黙ったままだが、弓弦が昨日までどうしても感じてしまっていた焦りは、不思議と消えていた。 『仲良くなりたい友だち』  昨夜、遅い時間だったにも関わらず、こころよく弓弦の相談に乗ってくれた高校の同級生。彼女からのアドバイスは、暗闇の迷宮での出口をしめす小さな灯のようだった。  ―― 公希を引き取って以来、喜ばせよう、心を開いてもらおう、と弓弦は努力してきた。  だがそれは、見方を変えれば、本人の気持ちを知ろうとはしないままに、喜ぶこと、心を開くことを強要してきた、ということなのかもしれない ―― (そうだ。もし友だちなら、そんなふうにはしないもんな)  弓弦は、植え込みに落ちたきれいないちょうの葉をとって 「いるか? 」 と公希に聞いてみた。公希が遠慮がちにうなずくのを見て、手に持っていたビニール袋に入れてあげる。  特に反応はない ―― いや、違う。  袋を握る手には、さっきよりも力がこもっているようだ。 (そっか…… これまで気づかなかったとか…… 役者失格じゃね俺。よく見ていれば、わかったんだよ)  ほんの少しだけ落ち込みながらも、小さな感動を覚える弓弦。  タカラヅカに報告したいな、と思った。きっと彼女ならこの、なんてこともない気づきを、良かったね、と静かに祝ってくれるだろう。 「よし、公希。宝物集めようか。どんぐりでも、松ぼっくりでも、いいもの見つけたら、どんどん拾うぞ。おっ、これ、大きいな。クヌギのどんぐりだ」  鳥の巣のような帽子をかぶった丸い実を弓弦が指さすと、公希はしゃがんでそれをつまみ、袋に入れた。  細長いシイの実、丸みのある小ぶりなカシの実、松ぼっくり。  全部とらずに、動物とほかの子のために残しておくんだ、と教えつつ進んでいると、ふと公希が足をとめた。 「どうした公希? …… っておい」  甥の視線を追って広い池の前を見た弓弦は、内心ひそかにツッコミを入れた。  偶然に会いすぎだろ、と。 
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