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1-2. 再会②
「ちわちゃん、いらっしゃいませ! 」
「こんにちは、ここちゃん。上手にごあいさつできたね」
駅直結のタワマンの3階。
エレベーターは使わずに非常階段をのぼっていくと、踊り場の重たいドアを開けたとたんに、やわらかい熱量のかたまりが千和の脚に抱きついてきた。
きゅっと抱きしめ返しすと、さらさらの髪に縁取られた幼い顔が千和を見上げてくすぐったそうに笑う。
姪の心良は千和と手をつなぐと、引っ張るようにして家へと歩きだした。
「どうぞどうぞ。いまねー、だいちゃんがウンチしたの! 」
「それは大変だね、ママ」
「うん。ママ、無になってた。たぶんね、おきがえしたばっかりだったから、心のなかで大絶叫なんだよ」
6歳にもなると難しい言い方を覚えるものである。
母親の硝子にとっては 『下の子に手がかかってかまってあげられてないから、勝手に動画配信みて変なこと覚えちゃった』 と軽く悩みになっていることのようだが、別にいいんじゃないかと千和は思う。面白いし。
「とうちゃく。ドアあけるから、まっててね」
「はい、ありがとう。おじゃまします」
心良が両手でひっぱったドアを千和が支えると、親友の硝子が中から顔を出した。さらさらの髪のショートボブに、品のいい目鼻立ち。片手には心良の1歳になる弟、大知を抱っこしている。
「ちわちゃん、いらっしゃい」
「おじゃまします。これ、クッキー焼いたから良かったらどうぞ。キッチンまで運んでおくね」
千和が紙袋をちょっとあげてみせると、硝子は 「わあ、すごい! ここちゃん、クッキーだって!」 と大げさなほどに喜んだ。
「気を使ってもらってありがとうね、ちわちゃん」
「こちらこそ、いつもありがとう。母のお見舞い任せきりにしちゃって」
「別にそれはいいんだけどねー。お義母さま良い人だし。私にはね」
「うん。母がわたし以外には良い人なのは知ってる」
あがって、と硝子はきびすを返した。リビングに向かいながら、抱っこしていないほうの手で通り道にある散らかったおもちゃを器用にひろい、紙クズをゴミ箱に投げている。
『散らかってると思って掃除するでしょ。振り返ると、また散らかってるのよ』
心良が3歳のころに硝子がグチっていたことだが、どうやら彼女なりの解決策を見つけたようだ。
「はい、ここちゃん。これ、おかたづけしてね」
大知を床におろし、途中で拾ったおもちゃを心良に渡すと、硝子はふう、と大きく息をついた。
「正直ね、お義母さまのお見舞いも、けっこういい気分転換なのよ」
「硝子がそう言ってくれて助かる」
「私も助かるよ。大知は車に乗ると寝ちゃうから。ちわちゃんが心良をみてくれてたら、おひとりさまみたいなものだもん。ほんと、リフレッシュできてる」
ほほえむ硝子は、昔とくらべると肩の力が抜けて、母親であることに慣れてきたような印象だった。
―― 千和の兄は総合病院の勤務医であり、休日がほとんどない。そのため硝子は子どもが生まれてから仕事をやめ、ほぼワンオペで育児をしている。
それまでの比較的、自由だった生活から一変して、子どもと一緒に家庭にしばりつけられる ――
子どもはかわいいが、ときどき息が詰まるように感じてしまう、と硝子はしばしば悩んでいた。
しかし最近は、夜中に千和にあてて送られていたグチのメッセージもずいぶんと減っている。
子どもの成長とともに、折り合いをつける術も学んでいったのだろう。
『仕事がない日はいつでも助けるよ』
千和はしばしば硝子にそう言ってきたのだが、硝子がそれを千和に頼むようになったのは、千和の母がガンで入院してからだった。
お見舞いのあいだに、心良の世話を千和に任せるようになったのだ。
意外なことだが、長時間のお見舞いには1歳は連れていけても6歳は無理であるらしい。
『すぐに退屈するし、ずっと遊んでもらいたがるし、お行儀よく待ってるように言い聞かせても反論してくるし』
硝子の言い分を聞けば、なるほど、である。
千和は実母が苦手なので、硝子がかわりにお見舞いに行ってくれている間に心良の世話をするのは、Win-Winの関係といえるだろう。
心良がおままごと用のプレートを持ってきて、千和と硝子の前に置いた。
「ママ、ちわちゃん、おまたせしました。すぺしゃるハンバーグセットでーす! 」
「ありがとう、ここちゃん。いただきます」
「おいしい? 」
「うん。すっごくおいしい! 」
「まいどありです。お代は、いちおくえんです」
「たかっ」
「じゃあ100円で! 」
「どんだけディスカウント」
「えへ。しゅっけつ大サービスです」
「出血多量でお店つぶれるよそれ」
「だいじょうぶ! ここ、ダイヤこうざん、ほりあてたもんね」
しばらくおままごとの相手をしていると、硝子が時計を見て立ち上がった。
「そろそろバスの時間ね」
「じゃ行こうか。ここちゃん、おばちゃんとヒーローショー行く? 」
「いよっ、まってました! 」
これから、硝子と大知はバスに乗って病院へ。千和と心良は駅近のショッピングモールへ行くことになっている。
帰りはふたりで待ち合わせ、新しくできたカフェでお茶をする予定だ。
「じゃあね、母によろしく」
「うん、またあとでね」
「ママ、いってらっしゃい! 」
「ここちゃんもね」
タワマンの入口で硝子と別れると、心良は千和の手に当然のように、ぶらさがってきた。
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