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1-6.再会⑥
夫婦の最初の夜。
まだしばらくはふたりでいたいから避妊してほしい、と頼む千和を崇得は鼻で笑い、パジャマをはぎとった。
緊張で固くなっている千和の脚を無理やり押しひろげ、唾をはきかけていきなり挿入した。
痛かった。想像していたのとは、全然違った。
それでも夫婦だから耐えなければいけないのだとガマンしていても、崇得が動くと痛くてつい悲鳴をあげてしまう。
(この声を気持ちいいから出るものと崇得が勘違いしていたことが、のちにわかった。崇得は素人童貞だったのだ)
行為が終わって涙をこらえている千和に、崇得は 『もっと勉強しろ』 と告げた。
こんな男のためにこれまで ―― 百年前の貞操観念が崩壊した瞬間であった。
しかし、千和は真面目に勉強した。夫婦なのだから頑張らなければ、と思ったのだ。
恥をしのんでSNSで質問すると、回答ではなく 『俺としてみませんか? 』 的なお誘いばかりがついて恐怖でパニックに陥ったりしながらも、千和が得た結論。それは。
夫 の セ ッ ク ス が 下 手 で し て 。
と、そういうことである。
身勝手でひとりよがりでそっけない、結婚前まで隠していた性格が、セックスにもあらわれていたのだ。
それでも、夫婦なのだから、うまくやらなければ。
まずは前戯を ―― つまりはキスから、とお願いした千和に、崇得は今度は蔑みの目を向けてきた。
「意外とアバズレなんだな。女はマグロでいいんだよ」
それから、千和はただの人形になった。
夫が行為を終えるまで、じっと耐えて待つ、人形。
終わった後は、シャワーで身体を洗いながら声を殺して泣く。結婚なんかするんじゃなかった。
それでも、千和はまだ、温かい家庭に憧れていた。
―― 千和が育った家庭では、母親の機嫌ですべてが決まっていた。千和は、家でいつもビクビクおびえて母親の顔色をうかがって過ごした。
家は、いつも息苦しかった。
そんなふうではない家族が、千和はほしかった。誰もが心の底から安らげる家庭を、自分の手で作りたかったのだ。
努力して、がまんすれば、いつかはかなうはず ―― その努力のすえに行きついたひとつの答えが、セックスで使う女性用の潤滑剤。
教えてくれた硝子は 『濡れにくいときは使ったほうがいいよー。事前に仕込んどいて、あとでまた塗ってもらうの』 と、あっけらかんとしたものだった。
「―― で、どうだった? かゆくなるとかない? だったら、メーカー変えたほうがいいからね」
カフェで注文したアフタヌーンティーセットを待ちながら、硝子はスマホを千和の前に置いた。通販サイトの画面にはずらりと、薄ピンクや白のチューブが並んでいる。
「おすすめしたのが私はいちばん良かったけど、個人差ってあるから」
「うん…… 大丈夫。使い勝手いいと思う」
「ほんと? 良かった」
おまたせしました、とスタッフが、彩りよくスイーツが盛られたケーキスタンドを真ん中に置き、紅茶をそれぞれのカップに注いだ。
続いて、ウェハースと果物を盛り合わせたアイスクリームがとどく。心良が待ち構えていたように戻ってきて、硝子の横にすわった。そのあとを泣きながら大知がよちよちと歩いてくる。
ああもうダメか、と硝子がつぶやいて立ち上がり、大知を抱っこして赤ちゃん用のクッキーを握らせた。
片手で大知を支えながら、片手で器用にデザートを食べ紅茶を飲み、ときどき心良の口もとについたアイスクリームを拭く硝子は、幸せなママそのものに見える。
1年ほど前、大知が生まれたばかりのころは、たまにはひとりになりたい、とよく千和に訴えてきていたものだが。
「硝子も2児の母が板についてきたね」
「生んじゃったら仕方ないもんね。子どもたちも、やっと友志さんに任せられるようになってきたから、前ほど大変ってわけじゃないし。っていっても、いつ急患があるかもで遠出は無理だけど」
「兄が勤務医で申し訳ない」
「そういってくれる人がいるだけでほっとするよ。なんか、専業主婦って肩身せまくてさ」
「いやいやいや。むしろそれで働くのが無理。硝子も働きたかったのにね。すまぬ」
「ま、話し合って決めたことだからね。一応、上の部屋の管理は私の仕事だから無職ってわけじゃないし。それに、子どもと一緒にいられる時間が長いのも、子どもが病気のときにはそばにいてあげられるのも、有難いことだと思ってるよ」
「硝子から後光が射してる…… 」
千和が拝みつつチョコレートを差し出すと、硝子は笑って 『うむ。苦しゅうない』 とおどけた。
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