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母が死んだ
病室で母の亡骸を見ても私は哀しいという感情が湧かなかったし、涙も出なかった。
後でわかった事だが母の亡くなった病院は終末患者を受け入れて亡くなるまでの間にお世話をする所と言う事でその病室全体というかその階層全体になんとも形容し難い匂いが充満していた。
母がこんな場所で亡くなった事に一抹の不憫を感じながらも不思議とそれ以上の悲しみはなかった。
それよりもこんな環境で働く看護師の方々の労働環境に少し憤りを覚えた。
嗅覚が麻痺してしまっているのかも知れないが、こんな環境で毎日とは言わないまでも死にゆく人を看取る日々というのは精神に深刻なダメージを与えかねないのは一目でわかりそうなものだ。
そんな事を考えていると一緒に来ていた兄が母に語りかけていた。
「がんばったねぇ、がんばったねぇ」
と言いながら頭などを撫でていた。
私はゾッとした。
いや、ドラマやなにかなら彼の行動は優しい子供という事になるんだろうが、これは現実に起こってる事なのだ。
もし私が亡くなった母に何か語りかける事があるとしても、おそらく声には出さないだろう。
もし感情が昂って声にだしたとしても誰か他の人がいる場所では黙るだろう。
ましてや身内がいたら尚更だ。
私には彼の行動がどうみても芝居がかってる様に見えてしかたがないのだった。
人生に於いて芝居をうってはいけないと言うことはない。
人生は劇だと言った人も居る。
しかし、殊に人の死が関わってる場合に於いては一抹の不遜さを感じる。
しかもそれがもし演技だとした場合の観客は誰か?
私しか居ないのだ。
つまり私に向けての一人芝居にゾッとしたのだ。
そんなことはない君は考えすぎだ、しかも冷血漢だから兄の心情が理解できないのだと言う方も居るかと思う。
そうではないと言う、証拠を示そう。
この後葬儀をやる事になるのだが、家族葬ということで結局こじんまりした葬儀をする事になる、一番安い葬儀にするとよくわからない場所で一晩遺体を保管しなければならず、自宅に引き取ってから火葬場までにすると約六倍の金額になる。
私はなんだかよくわからない場所で一晩過ごすのは不憫だと感じてなんとか家に引き取れないかと考えたが兄は「葬儀屋さんが保管するんだからそんなおかしな所ではないだろう、問題ない」との事で兄の意見が通り一番安い葬儀になった。
つまり、どこだかわからない所(保管場所は教えられないらしい)で母の亡骸が一晩過ごす事についてはなんとも思わないという事だ。
なんとなく、ズレてないか?
葬儀代をケチった理由もその後の行動を見れば明白だった。
何日も働く事なく金が本当に無くなるまでだらだらと過ごしたい、ただそれだけなのだ。
母親が痴呆になって一緒に住んでいる兄が仕事を辞めてお世話をする事になって感謝はしている。
母親の下の世話などは息子としては感情的に受け付けない所が大きいからだ。
その点兄貴はそういう感覚が希薄で、誰であれ平気で下の世話をするだろうし、どんな初対面の人とも対等に話をする。
こちらがどう思われてるかとかあまり考えずに表面的に仲良くなれるのはある意味才能とも取れるし羨ましい気もするのだが、たまに彼の本音らしきものを聞くとどうやら相手に親近感を覚えて近づいてる訳ではなさそうなのだ。
つまりは全体的に馬鹿にしてるので、気安く話しかける事が出来ているというのが本当らしい。
相手を馬鹿に出来るほどのなにものも持ち合わせていない様に見えるのに、、、である。
母の世話をかってでたのも、母の年金で仕事をせずに暮らす事が出来るからなのではなかろうかと訝っている。
まぁ、感謝はしているのだが、なんとも形容し難い圧倒的なズレを感じる事がたまにある。
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