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5. 愛娘の死
それから四年の歳月が流れた。
「旦那様。帳簿にお目通しお願いいたします」
倫太郎が仕事場にしている座敷から中庭の桜の木を見ていると、支配人の佐吉が声をかけて入ってきた。
帳簿を受け取り倫太郎が目を通していると、女中のお咲が二人にお茶を運んでくる。
「糸の具合は?」
倫太郎はお咲に妻の様子を聞く。
「へえ。今日はお加減も幾分良ろしいようで、先ほど昼餉を召し上がられました」
「それは良かった」
倫太郎は安堵する。
「桜子様が身罷られてまだ二月。この季節は特におつらいでしょう」
お咲が下がると、佐吉がつぶやく。
倫太郎と糸子の間に生まれた初めての子供、桜子が流行病で亡くなって、この家全体が悲しみに沈んだ。数えで三つの愛らしい娘だった。
父親の倫太郎には仕事があり、それで気を紛らわせることができた。しかし糸子は愛娘の死から立ち直れず、弔いが済んだあと床に伏せることが多くなった。
「いっそ離縁して、もっと健康で子をたくさん産んでくれる女子をもらったら?」
そう言ってずかずかと座敷に入って来たのは母だった。
妹夫婦がいる分家の敷地に隠居所を建ててやったが、未だ何かと理由をつけてはこちらに顔を出して使用人や糸子にまで口煩い。今は糸子への面会は禁じているが、使用人も辟易していると佐吉が嘆いていた。
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