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1. 桜
倫太郎は桜が嫌いだ。
昨年迎えた妻の糸子に、川沿いの土手で花見をしようと誘われたが、「女中を連れて行っておいで。実家のお母さんも誘ったらいい」と断ってしまった。寂しそうに肯いた糸子を見て、少し可哀想な気もした。
糸子との縁談は親戚筋が持ってきた。代々県会議員を務める名家の娘で、家のための結婚と割り切って承諾したが、嫁入りした糸子は大変愛らしく控えめで、優しい笑顔が印象的な女性だった。
ふと、倫太郎の脳裏にある女性の面影が浮かんだ……。
「旦那様、それではお花見行かせてもらいます」
「ああ、楽しんでおいで」
翌日、糸子は花見弁当を作らせて、女中達と出かけて行った。
桜にはいい想い出がない。
倫太郎が尋常小学校に上がると、教師の目が届かず、内藤家の者の目も届かない土手の桜並木でよく級友にからかわれたものだ。
「将来の当主が下々の者と親しく交わるのは良くない」という母の考えで、倫太郎は小さな頃から近所の子供と遊ぶことを禁じられていたから、学校に上がってすぐに友達など作れるわけはなかった。
級友は級友で、「内藤家のぼっちゃんに怪我でもさせたらいかん」と親から強く言われていて、倫太郎を敬遠して遠巻きに見ている者が多かった。
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