にんげんのたまご

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 ある日の夜。  冒険を終えて宿屋で床についた勇者マイクは、深夜、静かに自分のベッドを叩く人物の存在に気がついた。  身じろぎをしながら叩かれた方に身体を向けると、一人、自分のベッドのそばに立っている人物がいる。 「勇者……」 「ん? なんだ、アンナか」  そっと声をかけてきたのは、仲間である魔法使いのアンナだった。窓から入ってくる微かな月明かりでも分かるほどに、アンナの顔は青ざめていた。  これは只事ではない、と、マイクはベッドから身を起こす。 「……どうした? 顔色が悪いぞ」 「うん、あのね……落ち着いて聞いて欲しいんだけど」  声を潜めながら問いかけると、アンナはゆるゆると首を振りつつ、信じられないことを言い出した。 「あたし、たまご産んじゃった(・・・・・・・・・)……」 「……は?」  アンナの言葉にマイクは顎がすとんと落ちた。  たまご。ニワトリとかドラゴンとかが産み落とし、子どもが産まれてくる、あのたまごか。  他のベッドで眠る仲間を起こさないように、しかし声のトーンを落とすのでやっとという風合いで、マイクが問いを重ねる。 「なんだ、変な夢でも見たのか?」 「夢だったらどんなによかったか、って思うわよ、あたしも」  アンナも声を潜めながら、しかし彼女も自然と声が大きくなってしまうようだ。  それはそうだろう、勇者パーティーの一員でありながら、夜中にたまごを産み落としたなど、誰かの耳に入ったらどんなことを言われるか、分かったものではない。  マイクも力なく首を振りながら、アンナに声をかける。 「だって、たまごって……あり得ないだろう、お前は人間(・・)だし」 「そうなのよ……冒険者になってからというもの、そういう行為とは無縁だし……魔物にそういう意味で襲われたことも無いし……」  マイクの言葉にアンナも首を傾げた。  マイクの仲間は、マイクも含めて全員が人間だ。宿に泊まる前に教会にも寄っているから、呪われてこうなったとかいう可能性は薄い。そもそもたまごではないにせよ、子を成すにはそれ相応の行為が必要だ。  アンナが仲間になってから、片時も離れることなく一緒にいたのだ。そういう行為を隠れてやるチャンスなど、あるはずもなかった。  神妙な面持ちになりながら、マイクはますます首を傾げる。 「だよな……でも、本当なのか?」 「本当よ。ちょっと待って……」  マイクの問いかけに、アンナはそっとかがみ込んだ。小さく掛け声を上げながら持ち上げたそのたまごは、両手で抱えるサイズとやたらに大きい。 「これよ、これ」 「うわ……なんだよ、これ」  アンナが両手で抱えるたまごを見て、マイクも思わず声を上げた。声を上げてすぐ、はっと口を抑える。  だが、どう見たってサイズが尋常ではない。ドラゴンのたまごならこのくらいの大きさにもなるだろうが、ドラゴンのたまごだとしても結構な大きさだ。よくこれを、命を落とさずに産み落としたものである。 「でっかいな」 「そう。大きいでしょ? すごく痛かったんだから」  マイクの言葉にアンナもため息をついた。寝ている最中に痛がっているような声は聞こえなかった。ずいぶん必死に堪えたのだろう。  よく頑張ったものだ、と思いながら、ますますマイクは首を傾げる。ドラゴンとのそういう行為など、やるやらない以前に人間が行ったら確実に死ぬし、そうでなくてもたまごを産む理由がますます分からない。 「だろうな……でも、なんでこんなことに?」 「うーん……」  マイクが問いかけると、アンナは小さくうなった。  しばらく考え込んでから、彼女は目を見開いて思い出したように話し始める。 「そういえば……関係あるか分からないんだけど」 「なんだ?」  アンナの言葉にマイクが身を乗り出す。すると彼女はたまごを抱えながら口を開いた。 「ほら、竜神様がいるじゃない、アルファルダ様」 「ああ、この間魔物を退治して解放した神殿に、祀られていたっていう?」  言われてマイクも思い出した。先日、立ち寄った国の王様に頼まれて向かったアルファルダ神殿。魔王軍の魔物に占拠され、神官や僧侶が追い出されたその神殿の魔物を、この間マイクたちは総力を上げて退治してきた。  その神殿に祀られていて、立ち寄った王国の象徴にもなっていたのが、光の竜神・アルファルダであったのだ。  するとアンナは、眉間を指で押さえながらうめくように言った。 「そう。その方が、夢に出てきたような……そんな気が……」 「んん……?」  アンナが話した内容を聞いて、口をへの字に曲げるマイクである。  アルファルダ神殿を魔物の手から解放してから、一週間ほどは経っている。その間、特に何も起こらなかったし王様からも何も言われなかった。  それなのに、今になって夢に出てきたとは。曖昧なのでそもそも事実かは分からないが。 「だとしても……そのたまごと、何の関係が?」 「分からないわよ、そもそも夢の内容を――」  またしても問いかけたマイクにアンナが言葉を返したその時だ。  アンナの手の中で、たまごが小さくカタカタと震え始めた。 「えっ?」 「な、なんだ?」  声を上げたアンナとマイクが、たまごを見つめたその時には、既にたまごがまばゆく光り輝いていた。震えもますます大きくなって、もはやカタカタなんて音では済まないほどだ。 「光ってる!?」 「なんだ、何が――」  とたんにマイクもアンナも慌て始めた。こんなことになるなんて、やはりただのたまごではない。当然のことだが、普通のたまごならこんなことが起こるはずはないのだ。  すると、一層光が強くなると同時に、パンとたまごの殻が弾ける音がした。 「わっ!?」  思わず大声を上げてしまう二人。これで他の仲間が目を覚ましたら申し訳ない。だがそんな事を考えるよりも先に、二人とは違う声が話に割り込んできた。 「ふぅっ、やはりたまごの中は窮屈でかなわん」  明るい声色ながら、古風な口調で声を上げた人物は、アンナの手に抱かれる形でそこにいた。  いや、人物と言うには不適切かもしれない。なにせその声の主は、黄金色の鱗に身を包んだ、小さなドラゴンだったのだから。 「え……」 「ドラゴンの、こ、子ども?」  アンナとマイクが驚きの声を上げる中、ドラゴンは途端に不機嫌そうに頬を膨らませて言い返した。 「子どもとは失礼な。大いなる竜神、アルファルダを前に無礼であるぞ」  アルファルダを名乗ったドラゴンに、ますます二人は目を見開いた。  このドラゴンが、アルファルダ。王国に祀られている竜神。それが、こんな小さな姿で自分たちの手の中にいるなど、信じがたい話である。 「あ、アルファルダ、様?」 「そ、それが何で、アンナが産んだたまごの中から」  未だに信じられないという表情でアルファルダに問いかけるマイクへと、視線を返しながらアルファルダは答えた。 「勇者マイク、そなたは先日、我の神殿を悪しき魔物の手から取り戻したであろう。そなたと仲間の行動に、我はいたく感動した」 「あ、え、どうも」  感動した、の言葉に、思わずマイクは頭を下げた。こうして直々に助けた存在から感謝の言葉を述べられるのは、なんだかんだ言って悪い気分ではない。  と、アルファルダはアンナに抱かれたまま、自信ありげに胸を張って言う。 「そこで、我の力の一端をそなたらに分け与えることにした。これなる竜の形でな。そなたの仲間が産み落としたたまごは、分け与えるにあたっての媒体に過ぎん」 「ええ……」 「そう、だったんですか……」  いきなり凄まじいことを言い始めたアルファルダに、マイクもアンナも二の句が継げない。  竜神アルファルダが、勇者一行に力を分け与える、などと。つまり神が文字通り味方になっているわけで、それはなかなか、恐ろしい話だと思う。  すっかりアルファルダのペースに呑まれながらマイクが眉間にシワを寄せつつ言葉をかける。 「でも、びっくりさせないでくださいよ。人間がドラゴンのたまごを産み落とすだなんて、あまりにも非常識すぎる」 「非常識だからこそ、神の御業という説得力が生まれるのであろう。気にすることはない」  マイクの言葉に、アルファルダは尻尾をゆらりと揺らしながらすげなく答えた。確かに人間がドラゴンのたまごを産むなど、非常識なんてレベルの話ではない。そこまで非常識だからこそ、神の為したことだと誰もが言うのだろう。  そうでなくても、ドラゴンの子どもを連れている勇者一行。この時点で十分非常識だろう。  二人が思考を巡らせる中、アルファルダはすんと鼻を鳴らしながら口を開いた。 「ともあれ。これからは我もそなたらの旅に同行する。いざとなれば移動手段にもなってやれるゆえ、存分に使うといい」 「おお……」 「ありがとう、ございます……」  竜神であるアルファルダの名言に、さすがに二人ともが頭を下げた。神の力を借りれるなど、この上ないほどに心強い。  と、アルファルダがアンナの腕の中から飛び降りた。マイクの寝ていたベッドの上に着地すると、枕まですたすた向かいながらなんでもないことのように言う。 「さて、産まれたゆえに我は疲れた。寝床を借りるぞ、勇者マイク」 「えっ」  マイクが何かを問いかけるよりも早く、アルファルダはマイクの使っていた枕の上で丸くなった。そのまま、すぐに寝息を立て始める。 「すぴー……」  全く周りのことを気にしない様子で眠り始めるアルファルダ。その姿を見ていたマイクもアンナも、もはや目が冴えてしまって寝るどころではない。 「勇者……他の仲間にどうやって伝えよう……」 「うーん……」  すやすやと眠るアルファルダを前にしながら、マイクとアンナは二人顔を見合わせ、深くため息をつくのだった。  翌朝、アルファルダの姿を目にした他の仲間は大騒ぎになるものの、アルファルダ当人に場を収められて、勇者一行は宿屋から文字通り飛び立つのだった。
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