開かせぬ扉、明かせぬ秘密

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──喉に酒を流し込まれたような熱が加わる。目頭に焼け付く痛みが走り、大粒の涙がころころと頬を滑り落ちた。肺の腑に刃物を突き立てて刳られた時にも似た水っぽい嗚咽が漏れた。 「……なんで?」 私は引き攣った笑い声を上げた後に目の前の対の眼へ手を伸ばそうとする。それは最後に、最期に、澄ました仮面を纏ったその瞳から余裕を剥ぎ取ってやろうという、稚拙で呪いにも似た企みだ。 「なんで、なくの」 その眼は、声は、私の拙い謀略の泥濘に嵌っただろうか。床に伏してなお冷たい肌に、僅かに赤みが差している。生きる事に一切頓着しなかった灰色の眼が、熱を求めてふらりと左右に揺れた。 「嬉しいからだよ」 「おれが、こうなっているのが?」 「そうだね」 ──敢えて意味を持たせぬ相槌に、瞳がうっそりと細められる。私を酷い奴だと、血も涙も無い奴だと詰っているのだろうか。無理もない。 ……ふ、と。目から視線を逸らすと、病床に伏せる前は見事だった黒髪は、艶を失い伸び切って見るも耐えない有様になっていた。 「切ってあげようか、髪」 「いや、いい。すぐにひつようなくなる」 「……そうだね」 相も変わらず。 気のない問い掛けと、気のない返事。 「じゃあ、私は部屋に戻るから。なにか用が有ったら鈴を鳴らして」 「わかった」 片手を振って部屋から出ると私は書庫へと向かう。足の運びは覚束ないままに、壁に片手をついて半ば這いずるように、一心不乱に本の海を目指した。 ──そして漸く、目指した場所に辿り着いた。 戸に壁に添わせた手を掛けると、力を失った身体は大きく前に傾ぐ。熱を孕んだ吐息は床に力なく落ち、げほ、げぼ、と水の絡んだ咳が何度も肺から這い出た。そしてその水はいやに粘性があり、舌に触れると鉄の味がする。 「──」 一向に止まる気配をみせない咳に、床板が汚れる、と最後の理性が働き口元に服の布地を宛てがった。添えられた布は見る間に赤く染まり、呼吸をこれでもかと妨げた。 『迎えに来ましたよ』 ──遠くで男の声がする。 ああ、ああ。やっと終えられるのか。 「……もういい、もういい」 応えた声が、酷く疲れていたのは気のせいだろう。 だって私の心はこんなにも── ── ……書庫の中で、開かれたままの本が一冊。 その本にはこのような文言が記されている。 『あなたは、自分の命を引き換えにしてでも 助けたい人間はいますか?』
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