5ほんとのなまえ

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 袖の下は、私が外に出て困らないようにと、通帳まで作って貯金しておいてくださったのよ。いい先生でしょう?  え?親御さんは納得しないだろうって?  さあ、どうだったかしら?  麻酔がとけて、歩けるようになったら通帳と印鑑を渡されて、信濃のほうにある施設に先生の車で連れて行ってもらったきり、会っていないわ。  先生も、道中で詳しく話してくださらなかったから。  手術が失敗して、娘さんは亡くなりましたとかなんとか、理由をつけて私を「亡くなった」という体にしたんじゃない?  袖の下を渡した手前、病院や先生を訴えることもできず、言われるままだったんじゃないかしら。  ヤダわ、貯金なんかとっくに使い果たして、通帳もどこいったかわかんないわ。  生きてりゃ金がかかるって、お兄さんだってわかっているでしょ?  病院も行かなきゃいけないし、こんな仕事じゃ自分の身は自分で守らなきゃ、命がいくつあっても足らないし。  親分さんたちにショバ代も払って、あれこれ工面して、私の財布に残るのはせいぜい小銭くらいなもんよ。  だから、私の名前はマリーよ。  今のところは。  そうよ、あの子にも訊いてごらんよ。  マリーって名前だって答えてくれるわよ、ねえ、リルちゃん。  ところでお兄さんさあ、なんて言われて私のところに来たの?  こんな風になった娘じゃ、親だって会いたくないでしょうに。  もし客になる気がないなら、商売の邪魔だからどいてくれる?  もうねえ、忘れちゃったわ。  どんな親か、私がどんな子供だったか。  だから、探している人にはこう伝えてちょうだい。  何も覚えていないし、何も思い出したくないって。  都合がいいように育てようとした親の顔も、そんな親に名付けられた名前も、何もかもね。      
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