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「空気は読むものじゃなくて吸うものなんだから、好きに呼吸してもいいんですよ。ふてぶてしい奴らに気を遣って、感謝もなく、むしろ粗探しされて吊し上げにされるなんて、割りに合わないでしょう?」
そう思っていても、言う権利はなかったみたいですと彼女は苦笑する。
「あんたは下っ端なんだからって同期に言われて、おどろきました。ポジションも同じで、給料も同じで、やっている仕事もさほど変わらず、むしろ向こうはのらりくらりと給湯室で油を売っていたくせに、おめでたいでしょう?」
悪態をつけるようになるまで回復した彼女を、カウンセラーは嬉しそうに目を細めて見つめる。入院当初は「すいません」と「大丈夫です」ばかり繰り返して、なかなか治療が進まないと主治医である院長がぼやいていたほどだったが、今では談笑を交えるほど打ち解けているようだ。
「ママも体裁が悪いと言って、早く退院しなさいと毎日それだけを言いに来るんです。マスクにサングラス、それからスカーフを顔に巻いて、こっそり来ているつもりなんでしょうが、かえって怪しいですよね。なんだか、周りで威張っている人がみんな、滑稽に思えてきちゃった」
ハーブティーを飲み、彼女はふふふと含み笑いをもらす。
主治医の話では退院してもしばらくはどこか隠れられる場所を探したほうが良いとのことで、今からウィークリーマンションやロングステイが可能なビジネスホテルはどこかしらと楽しそうに、タブレット端末で探す姿には一切の曇りも怯えもない。
むしろ、大挙して押しかけてきている周囲の人間の方が怯えて、慄いているのではないかしらとカウンセラーは勘繰る。
「そろそろ庭のハナミズキが咲くでしょうね。みんな地味であんたみたいな暗い花だって馬鹿にするけれど、わたしは密やかで、風に揺れる姿もしなやかで素敵だと思うんです。今までは空気を読んで、息苦しさも隠して同意するふりをしていましたが、もうしません。だって、懸命に咲くハナミズキに失礼じゃないですか」
言い得て妙だな、とカウンセラーは心の中で納得する。
暗い花だと見下し、毒々しいほど言葉を使って人をがんじがらめにする者よりよほど美しく、清々しいではないか。
理解できないことが、どれほどもったいないか。
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