恋の対価は安寧な夜

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 ライブが終わった後に、彼に「よくやってくれたね」と言われた時、俺は自分の体調が最悪な事をコロッと忘れられた。  ステージの直前にいきなりの腹痛に見舞われ、俺は救急車で病院に搬送された。  診断的には単なる胃けいれんだったし、単に重度の緊張から来たのだろうとは思うが。  しかし、ライブ当日の最後のリハーサルに参加出来ず、いろいろな心配やら迷惑やらを掛けまくり、万全ではない体調でステージ立ったという悔恨の念は、未だにホゾを噛みまくっているような黒歴史だ。  なのにあのヒトは、それをなんなく許してくれた。  それどころか、アンコールを終えてステージのそでに戻った時に、俺の肩に手を置いて、(くだん)の一言をくれたのだ。  俺は、あの時、本当に舞い上がってしまうほど、嬉しかった。  ダブルクォートというバンドの存在は、俺と同期……と言うと少々語弊はあるが、でもまぁ、同世代のロック好き、特にバンドにハマって自分もギターを弾いたような輩ならば、その名を知らない者はいないだろう。  キャッチーなメロディラインと、心に刺さる歌詞。  なのにコードは比較的簡単で、ギターの初心者でもある程度はかっこよく弾ける。  それらの要素が相まって、バンドブームの火付け役となった、いわゆる "伝説" のバンドだ。  今の俺がこうしていっぱしのミュージシャンとしていられる最初の、本当に一番最初のきっかけを与えてくれたバンドであり、俺にとっては燦然と輝くヒーローみたいな存在と言っても過言では無い。  だからこそ、その元・ダブルクォートのヴォーカルであるSAY(セイ)氏から、ソロ・デビュー20周年ライブの、サポートミュージシャンへのオファーを貰った時、一も二もなく引き受けた。  もっとも舞い上がりまくって引き受けた挙げ句に、冒頭の体たらくとなる訳だけど。  でももし、その瞬間にいきなり天使が現れて「オマエの人生の幸運は、今ので全部使い切ってしまったよ」と宣言されてしまっても、「はい、喜んで!」と答えられるほど嬉しかったのも事実だった。  その憧れのヒトであり、俺のヒーローである黒川(くろかわ)(せい)氏は、現在、ホテルの部屋で寝込んでいる。  バンド時代の名を改めて、今はフルネームで活動をしているが、今でもファン(俺も含む)は彼をセイと呼んでいる。  サポートのオファーがあったライブは、バンド解散後に『ソロデビュー』してから、20年目の節目のもので、当然それは念入りに企画されたスペシャルなものだった。  底冷えしている音楽業界的にも、それはかなり力の入った催しと言える。  なんせ往時もドル箱だったが、セイ氏と言えば現在だってしっかりドル箱なのだ。  その彼がドームで2DAYSのスペシャルライブをするとなれば、現行のファンはもちろん、再燃組やら新規やらのファンががっつり集ってくる。  そこですかさず、記念のベスト盤をリリースし、それに伴う全国ツアーも立て続けに発表された。  そして俺は、周年ライブのサポートメンバーがそのままツアーサポートに! と相成って、セイ氏のお供をしているのだ。  しかし、しばらく海外生活が長かったセイ氏にとって、久々の国内ツアーは、季節の変わり目やら、プライベートすらも覗き見するようなマスコミやら、時差ボケやらの波状攻撃で地味に色々と削られたらしく。  ついに倒れてしまったのだ。
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