9.時が止まってしまえばいいのに

10/11
前へ
/85ページ
次へ
 というか、自覚は無かったんだな、というところに呆れた。彼の中で、あのキスは大した意味が無かったということか。そもそも過去のことを忘れろと告げたのは彼だというのに、初日から昔のことを掘り返してばかりだ。いったいどうしろと言うんだ、と憤りさえ覚える。  そんな秀の心情を知ってか知らずか、雪彦が一際大きく息を吐いて黙り込んだ。  別に彼を責めるつもりはないのに、上手く言葉が出ない。違うと言ったら――雪彦はそれまでの秀の行いを赦してくれるのだろうか。  きっと、それはない。  ひどく落ち込んだまま目を瞑る。しばらくじっとしていると、背後でもぞりと雪彦が動く気配がして——身体に、縋るように抱きついてきた。 「は⁉ な、おい、おい……!」  慌てふためく秀に反し、背中に押し付けられた雪彦の口からは「んん……」と焦れたようなくぐもった寝言が漏れた。  こいつ、寝ぼけてやがる。  胴体を絡め取るように回された腕は思いのほか力強く、ちょっとやそっとじゃ離れそうもない。秀はしばらくもがいた後、諦めて一気に脱力した。  以前、泥酔した状態で送り届けてもらった時にも、似たようなことがあった。被せた布の上から抱きつかれたのだ。男では硬くて抱き心地も良くないだろうに——いや、もしかして誰彼構わず手を出す悪癖があるのかもしれない。後で注意すべきだろうか。  少しの時間とはいえ必死に動いたためか、心地よい疲労感と眠気の波が押し寄せてくる。雪彦の存在も大きいだろう。こんなに彼を意識していなかった頃は、傍にいるだけで気持ちが安らいだものだった。
/85ページ

最初のコメントを投稿しよう!

145人が本棚に入れています
本棚に追加