第16話 謀略の天才

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第16話 謀略の天才

 天海は後事を織田有楽斎に託し、大坂城を後にして京の二条城に来ていた。既に甲斐の浅野幸長を紀伊に、南信濃の京極高次、髙知兄弟を但馬に移封し、空いた甲斐と南信濃は徳川が接収して、関東、甲斐、南近江、美濃と続く道を確保した。  家康が実質四百五十万石の大大名に成ったのに対し、豊臣秀頼は関ヶ原の東軍勢力への度重なる蔵入り地の譲渡により、実質八十万石程度の大名に成り下がった。  しかし、蔵入地として領有していても、五奉行制度が崩れた今、各地の統治機能がおそろしく低下してしまい、現地に送られた奉行が私腹を肥やすのみとなっていた。天海がこの惨状を説明すると、徳川が領有して幾ばくかの預かり料を得ることで淀殿は納得した。  しかし、近江国では自連の治める浅井、坂田、犬神の三郡に加え、琵琶湖北部の伊香、高島の二郡の民が編入を訴えた。今自連と事を荒立てたくない家康は、交渉人として天海を指名した。天海はこの件を治めるにあたって、落とし所を相談するために京に立ち寄った次第だ。  天海が家康の小姓に案内された広間で待っていると、家康が本多正純を伴って現われた。  家康は征夷大将軍の叙任と同時に、江戸に念願の幕府を開いた。本多正信は家康の意を受けて、幕府の統治機構を組み立てるために江戸に急行した。代わりに嫡子の正純が家康の側近を務めている。
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