第17話 反政府の輩

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 戦に関しては全く天分がなかったが、弁は立った。ちょうど自連は言論の自由を掲げ、情報開示を推進したため、一躍活躍の場を得た。ちょうどその頃勝悟は冨士山の南西麓に、富士川の豊かな水資源を利用して製紙の国営工場を設け、大量の紙を生産し、その活用先として新聞を発行し始めた。  初期は政府系の新聞が、民に対し政策開示するのが主な活動だったが、明から活版印刷技術が伝来すると、民間の新聞発行が盛んになり、市場予想や不動産情報などが民に行き渡るようになった。  こうした新聞業が盛んになるにつれて、世の中で起きた事象に対して詳しい論説が付記されるようになり、人気の論説記者が生まれた。世の中が平和になり、教育が行き渡って民の政治参加意識が高まるにつれ、反政府系の思想が脚光を浴びるようになっていく。  三木はまさしくその潮流に乗った一人で、事あるごとに政府の政策を批判し続けた。  関ヶ原の大戦と、その後の佐和山城攻防戦に、自連軍が派兵されたことは、三木にとっては自身の人気を高める絶好の機会だった。 「政府は北近江二郡の加盟認可をすぐに取り消せ。各国に送った新自連領防衛宣言の取り消しを発表しろ。誤った政策を行った土屋長安は、すぐに代表を辞任して代表選挙を実施せよ」
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