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「桜とは、何?」
イレッカ王女は若い。
12歳くらいだろうか?
歳の数え方が異なるので正確にはわからないが、まだ子供だ。
「桜とは、木です。私の故郷の植物で、春にはたくさんの花を咲かせます」
王女の顔が明るく輝いた。
彼女は花が大好きなのだろう。
私は末廣京子、31歳、この地に派遣された日本の外交官だ。
私の赴任地であるこの国の正式名称は長く、発音は難しく、私たち日本人はここを「白雪王国」と言う通称で呼ぶ。
この王国は春と秋が短く、夏は殆どない。
そして冬はとても長く、降雪量は非常に多かった。
私が派遣されてから三度目の春が訪れていた。
外務省は白雪王国との国交樹立を記念し、友好の証として、この度桜の木を贈ると決めた。
今日は、それを王女に申し入れた。
事前に、この国の生態系に悪影響がないか確認済みで、お贈りする桜の方も長い冬に適応できる品種が選ばれており、問題はない。
あとは王女が気に入ってくれさえすれば、苗木を発注する手筈となっている。
私はVRマシンでこの国に桜が咲いた光景を体験できるようにセットし、王女に案内した。
簡易なシステムだが同じ仮想空間に20人まで入れるので、王女の側近の方々と私も一緒に体験することにした。
木の本数は100本で、まずは桜が蕾の段階から始まり、徐々に開花してゆく。
満開になった桜を見て王女は喜んだが、散り始めると顔を曇らせた。
桜の花びらがひらひらと舞い、少しずつ落ちてゆく様は私にとっては美しく思えたのだが、王女は段々とイライラした様子を見せた。
「ねえ、キョーコ、これは、どのくらい続くの?」
王女は私の名をキョーコと発音した。
スエヒロは難しくて、うまく言えないそうだ。
「天候にもよりますが、7日くらいでしょうか? 花が散るのは、お気に召しませんか?」
「この花に他の色はある? 赤とかオレンジとか」
私は返答に困った。
そのような品種も作り出すことはもちろん可能だろうが、友好の証として贈るのは、染井吉野を基本としたクラシカルな種と決まっていた。
それが、我々日本人がイメージする理想の桜であり、最も美しいとされていたからである。
「私は、この花、嫌い。他の花がいい」
イレッカ王女はむくれた顔で言った。
慌てて側近が横から口を挟む。
「イレッカ様、何を仰います! 異国からの友好の証に対して、失礼ですよ!」
「でも、皆、あんまり好きじゃないでしょ?」
側近たちの顔色が変わった。
どうやら桜は白雪人の趣味に合わないと言うことらしい。
私は彼らを困らせないように柔らかな笑顔を作り、さり気なく訊いた。
「それでは他の花を証といたしましょう。ところで、この花、桜は、どうして皆さんはお好きではないのでしょう?」
「だってキョーコ、まるで雪が降ってるみたい。春なのによ?」
ああ、なるほど、と思った。
日本人は舞い散る雪も美しいと思うものだが、白雪人は違う。
彼らは積もった雪が陽に照らされ、光輝く様は美しいと言う。
そんな時は機嫌が良い。
だが、降雪時は不機嫌だった。
視界が悪いと言って、雪が降る間は家の中に引きこもり、窓から外を見ようともしないのだ。
彼らにとって貴重な短い春に、冬のことなど少しも思い出したくないのだろう。
「それにね……」
王女は少し恥ずかしそうに、小声で言った。
「私は木登りが下手なの」
確か、白雪人にとって木登りのスキルは重要なものだ。
それは知っていたが、どうやら王女は花木を見て楽しむには、木に登る必要があると考えたらしい。
私はいろいろと見落としがあったように感じ、頭の中で情報整理を始めた。
よくよく考えてみると、まずこの国には「花見」と言うイベントはない。
そもそも広範囲に観賞のための花を植えた場所などなく、あるのは小さな花壇程度のものだった。
春の始まりから秋の終わりまでが短いため、農作物が最優先なのだろう。
植樹は果樹ばかりで、彼らは実が熟する前に木に登り、手でもいで収穫していた。
冬に備えて長期保存するためだと言う。
私の知る限り、この地の果樹に咲く花はどれも地味だった。
だからこの国では木に咲いた花を別段眺めることはない。
ただ王宮の周りには特別に、芝によく似た植物が植えられていた。
白雪人は、景観のために植物を植えるとしたら、丈の低いものを好む。
それは彼らが小人だからだろう。
大人でも身長は1メートルもない。
165センチの私は彼らから見れば巨人で……、ふと、身体の小さな彼らが楽しめる花とはどんなものだろうかと考えた。
後日、桜の代わりに他の花を贈ることで話をまとめようとしたが、母国の上司が難色を示した。
我が国が友好の証に贈るのは常に桜と定められており、それは5千年以上続く伝統だとか、日本人の足跡を残せる花でないとダメだとか、そんな小言が通信で送られてきたのだ。
思わず溜息を吐く。
理解はしていたが、この桜を贈ると言う行為は、実は日本側の都合と言う側面があるのだ。
その目的は二つあり、一つは、派遣された外交官の心を慰めるためと言われている。
と言うのも多くの派遣地は辺境にあり、この白雪王国も例外ではない。
昨今は星間航法の進歩により、辺境の惑星と地球との間を地球時間の1年程度で移動できるようになったが、片道でも莫大な費用がかかる。
私の前任者は私が到着時、97歳で、私が乗ってきた船に飛び乗って地球に帰還した。
一度赴任すると、母国へ戻れるチャンスはそんな形でしかやって来ず、赴任先で生涯を終える者も少なくないと聞く。
再び故郷を見れないかもしれない我々への慰めとして桜を植えると言う、上の配慮だが、言い換えれば「何があっても任務を全うせよ」と言うことだろう。
もう一つの目的は、日本の足跡だ。
辺境の惑星との付き合いは地球にとって実際のところあまり重要ではなく、これはあくまで文化的奉仕活動であり、各国で担当を分担している。
この白雪王国はたまたま日本の担当となった。
そして稀に起こることだが、派遣地の文明が滅んだり、天変地異や政変により音信不通となることがある。
そうなっても、すぐに詳細確認はできないのだ。
そのまま為す術がなく放置されることもある。
それでも、いつかは誰かがその地に再来し、その際に桜が残っていれば、かつてその地に日本人がいた証拠となると言うのだ。
それに意義があるかは疑問だが。
とにかくそんな理由により、上は桜にこだわった。
私はそれを、くだらないと思う。
さて、こんな場合の解決策はないものかと、資料を漁った。
すると、桜の代わりに日本桜草を贈ったと言う前例を発見した。
その赴任地は、地上に人が住むことはできず、人々は地下の狭い空間で生活しており、木を植えることは不可能だったそうだ。
なるほど。
不意にアイデアが湧いた。
桜草が代わりになったと言うなら、おそらくあれでも良いのではないだろうか?
イレッカ王女はきっと気に入るはずだ。
上もあれなら文句を言わないのでは?
北米原産らしいが、桜の代わりに相応しいと言える。
交渉した結果、私の読んだ通りとなり、その花を贈ることが決まった。
2年後の春、王宮の周りを、濃桃色の花が埋め尽くしていた。
芝桜だ。
「私は、この花、大好き! あの、寒そうな雪の花よりずっとステキ!」
イレッカ王女は嬉しそうだ。
「でも、キョーコは雪の花の方が良かった?」
「いいえ、そんなことはありません」
イレッカ王女の言葉遣いは相変わらず幼いが、彼女は聡明な天才に違いない。
彼女は私が赴任した時からずっと、私に対して、日本語で話しているのだ。
王女だけがそれができるため、王は我々との外交に関してはすべてを王女に一任していた。
イレッカ王女以外とは私は自動翻訳機を通して会話しているが、訳が正しいかは確認しようがない。
この翻訳機は前任者が人生を賭して製作したもので、彼女の専門は言語学だと言っていた。
私にそんな能力はないから、その前任者から言葉を覚えたと言う王女の存在は、とてもありがたかった。
イレッカ王女が喜ぶ花を贈ることができ、私はとても満足だ。
私はこの少女が大人になり、やがては老いる姿も、見ることになるだろう。
このままこの地で、私は生涯を終えるかもしれない。
だが、白雪人にすっかり気に入られた芝桜は、その後もずっと咲き続けるに違いない。
そして私の仕事の成果は、「桜が嫌われてしまった場合の代案」として、地球の公式記録にいつまでも残るはずだ。
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