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午前中はデスクワークで過ごした郁は、軽く昼食を摂った後、ミーティングルームへと来ていた。
「宮東さん、お時間貰ってしまってすみません」
その一角で待っていたのは山城だった。この年入社のやつらはみんなイケメンだな、なんて思いながら山城のいる机に近づく。
「いや、大丈夫だよ。資料、一応コピーもしてきた」
ファイルに挟んだ資料を山城に手渡し、机を挟んだ向かい側に腰掛ける。山城はそれを受け取り、すみません、とバツの悪そうな顔を向けた。
「いや、僕たちが営業せずに商品が売れるなら嬉しいことだよ」
ありがとう、と笑うと、こちらこそ、と微笑まれる。
「これ、実物も見ましたけど、並べるとキレイですよね。瓶もこだわってて」
「ああ……確かにベースは玉入りの瓶だが、レリーフが入ってるのが売りなんだよ。大人が楽しめるラムネっていうのがコンセプトだからね」
「七色並べるとキレイで、目も引きますからね。あ、資料拝見しますね」
山城が資料を取り出し、それに目を落とす。郁はその様子を見ながら、山城くん、と声を掛けた。
「資料見ながらでいいんだけど、ちょっと聞いていい?」
「え、ええ……いいですけど」
動揺しながらも山城が頷く。ちょっとお人好しなのかもしれない、と思うと親近感が湧く。
「高瀬くんと、同期だよね」
「高瀬爽平ですか? ああ、そういえばアイツは二課でしたね」
「うん……彼、弱点とか、ない?」
郁が聞くと山城がこちらを見やり、それからくすくすと笑いだした。
「高瀬、研修の時から宮東さんのこと気にしてましたから……何かやらかしました?」
眉根を寄せる山城に郁が首を振る。すると、ですよね、と山城が再び笑う。
「同期はけっこういましたけど、高瀬と牧瀬は飛びぬけて優秀で、俺も『山瀬』なら追いついたのか、とか思ったくらいで」
そんなやつがやらかすとかないですよね、と笑われ、郁は、そうだな、と頷いた。
爽平の代にはもう一人優秀な『王子様』の異名を持つ社員が居る。以前はなぜか三課に居たが、今は一課で活躍している。自分が知らないだけで、爽平も異名みたいなものを持っているのかもしれない。彼だって顔面偏差値は高いはずだ。
「高瀬くんも、王子とか呼ばれてたのか?」
「ああ……一時的にアイドルって言われてましたけど、いつの間にか消えましたね」
「そうなのか?」
アイドルだなんて、爽平のイメージにぴったりな気がした。それが消えるとは思えなくて聞き返すと、だって、と山城が郁を見やる。
「口を開けば二言目には『宮東さん』って言うアイドルなんていませんよ」
山城の言葉に郁が驚いて固まる。次第に頬が紅潮するような熱さを感じ、郁は俯いた。耳がじんじんと熱い。
「それは……なんだか済まない」
「高瀬の一方的な憧れらしいんで宮東さんが謝ることはないかと。でも、こうしてちゃんとお会いしたら、高瀬の気持ち、少し分かりますね」
資料見やすいですし、と山城が微笑む。こちらを見つめられたような気がして、郁は慌てて手元の資料に視線を落とした。
「仕入れしたいお店は小売店かな? だったら、資料の二枚目の数字で取引できると思うんだ。分からないことがあったらチャットでもメールでもして」
郁が無理に話題を仕事に戻すと、山城も仕事モードに戻ったのか、はい、と頷く。
「この商品、宮東さん担当だったんですか?」
「いや、二課は担当商品とかはなくて……でも、僕が入社した時に二課の担当が清涼飲料水に変わっただろ? その時課題代わりに出された資料作りがその商品で、資料も採用されたものだったから、なんとなく思い入れがあってね」
新人が作った資料を採用するなんて、その頃の二課はよほど大変だったのだろうと思う。正直製菓会社にとって清涼飲料水は強くないし、メーカーには負ける。だからこそやりがいはあると郁は思っていた。負けると分かっているからこそメーカーが作らないような商品を作るんだ、とは商品開発課の同期の言葉だ。だったら自分たちはその隙間を狙って売り込んでいく――それが面白いと最近は思うようになっていた。
「そうなんですね。じゃあ何かあったらよろしくお願いします」
「うん、いつでもいいよ」
そう答え、席を立った山城を見送ってから郁は資料を映していたタブレットの画面を消した。郁も立ち上がろうとすると、お疲れ様です、と後ろから声が掛かり、郁が振り返る。そこには爽平が立っていた。
「お、お疲れ様」
「今の、山城ですよね? 三課の。何話してたんですか?」
「あ、ああ……山城くんの取引先がレインボーラムネを扱えないかと問い合わせてきたらしくて、資料を渡して少し説明してたんだ」
爽平のことを聞いていたということは伏せて答えると、そうですか、と爽平が頷く。
「でも、宮東さんじゃなくてもいいことですよね」
「ああ、それは、資料の作成者が僕だったから。それだけだよ」
僕も時間あったから、と立ち上がる。歩き出すと爽平がそれに付いてきた。
「二人で顔突き合わせて話してたから……プライベートな話かと思いました」
隣を歩く爽平が少し不機嫌な顔をして呟く。それを聞いて郁が小さく笑った。
「山城くんと? 何を話すっていうんだよ」
今日初めて言葉を交わしたというのに、プライベートなことなど話すわけがない。爽平の考えがバカバカしくて笑うと、でも、と爽平が眉を下げる。
「だって、宮東さんは……キレイだし、誰が誘うかわかんないっていうか……」
その言葉に驚いて郁は、そんなわけないだろ、と強く言い返してしまった。廊下をすれ違う社員が驚いてこちらを見やる。郁は慌てて速足で廊下を曲がった。
「高瀬くんは、僕のことを勘違いしてるよ」
「してないです。だって、あの時の宮東さん、ホントに可愛かったから……」
爽平が頬を赤らめ郁から視線を外す。郁はそれを見てつられるように赤くなる。
「そ、その話は会社ではするな」
「あ、はい。ですね。じゃあ、終業後連絡します」
では、と爽平が表情をいつもの爽やかなものに戻し、郁の傍を離れた。それを見送ってから郁はため息を吐く。触れた頬は、まだ熱を持っていた。
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