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 爽平から連絡が届いたのは、ちょうど郁が退社して駅へと向かっている時だった。ここから数駅だが降り立ったことのない駅前を指定され、戸惑いながら郁はそのまま電車に乗った。 「どこに連れて行かれるんだ……」  スマホで検索してみたが、飲食店が多いわけでもないし、ホテル街というわけでもない。プライベートな話だから駅前のカフェで、というわけにはいかないのに、と郁がため息を吐くと、目的の駅に電車が近づいていた。  郁は覚悟を決めて電車を降り、改札を抜ける。やはり駅前は特にひらけているわけでもない、住宅街の駅だった。 「宮東さん、お疲れ様です」  人の波の邪魔にならないように改札の脇に立っていた郁に声が掛かり、顔を上げる。視界に飛び込んできたのは、こちらに向かって駆け足で近付く爽平だった。 「お疲れ様……」  妙に嬉しそうな爽平に怪訝な顔を向けると、それに気づいた爽平が少し眉を下げた。 「すみません、こんなところまで呼んでしまって。迷いませんでしたか?」 「いや、ちょうど会社を出たところだったから」  自分がいつも使っている路線の逆方向に乗ればいいだけだったので迷うことはなかったが、今聞きたいのはそんなことではない。 「いや、それはいいとして、どこに行くんだ?」 「俺ん家です」  行きましょう、と爽平が歩き出す。郁はそれに驚いて、え、と聞き返した。爽平が振り返る。  いきなり家に連れ込まれるなんて、やっぱり何かとんでもないものを要求されるのだろうか。会社の人間と関係したくないし、あまり金もないな、と思っていると爽平が不思議そうな顔で口を開いた。 「だって、外で出来るような話ではないですし、宮東さんの家にお邪魔するのも変だったので」  ダメですか? と聞かれ、確かにその通りだと思った。自分の想像がきっと大きすぎたのだろう。郁は少し咳払いをしてから、だめじゃない、と小さく答えた。 「でしたら、行きましょう。途中、コンビニで弁当でも買いませんか?」 「ああ、そうしようか」  爽平の提案に郁が頷く。どうしてもプライベートを守りたかったから、職場の知り合いとこんなふうに終業後に会うことは、これまでしてこなかった。けれど、こうして並んで歩いて何気ない話をしながら宅飲みに向かうのも悪くないと郁は思った。  爽平となら同僚から少し近い距離の関係を築けるかもしれないと、この時は思っていた。 「宮東さん、上着こっち掛けるのでください。狭いですけどそっちの椅子座っててください」  爽平の部屋は一般的なワンルームだった。壁掛けのテレビに向かって本来ならアウトドア用であろうディレクターチェアが二脚置いてある。その真ん中には小さなサイドテーブルがあって、その上には文庫本が一冊置かれていた。 「オシャレリア充だな」  ぼつりと呟くと、何か言いました? と小さなキッチンから爽平が聞いた。郁は、何でもない、と答え部屋の隅にある梯子を見上げた。どうやらロフトになっているようだ。きっとそこを寝室にしているのだろう。 「テーブル出しますね。テレビつけますか?」  折り畳みのテーブルを椅子の前に広げた爽平がこちらを仰ぐ。郁はそれに首を振った。 「それより何か手伝うか?」 「惣菜温めるだけですから、先に飲んでてください」  広げたテーブルにさっき買った缶ビールを置いて、爽平はキッチンへと戻った。仕方なく郁は椅子に座り文庫本を手に取る。あまり本を読まない郁でも知って居る作家のミステリー小説だった。 「それ、取引先の常務に勧められたんです。次に会った時に感想言えたらと思って」 「へえ……努力してるんだな」 「宮東さんがやってたことですよ」  爽平に笑われ、郁は首を傾げた。本を勧められたこともないし、実際に読んで感想を言ったこともない。 「宮東さんは映画でしたけど」 「……ああ、映画ならあるかもな」  竹と会うのはラブホが多かったから、ついでに映画を観ることが定番化していた。家でもテレビは見ずにサブスクの配信で映画を観ていることが多いかもしれない。 「宮東さん映画好きですよね」 「まあ、嫌いではないな。一度でラストまで分かるから」 「連ドラ待てないタイプですね」  コンビニで買ったホットスナックをわざわざ皿に移して温めたものを持って爽平がこちらに近づく。そのまま隣の椅子に座ると缶ビールのプルタブを開けこちらにそれを差し出した。郁も慌てて自分の缶を手にする。 「お疲れ様でした」 「お、お疲れ様」  コン、と缶をぶつけてから爽平がそれを煽る。郁も同じようにビールを少し喉に流し込んだ。  部屋に静寂が訪れる。郁はそれが気まずくて、えっと、と口を開く。 「話って……」 「食べてからしましょう。せっかく温めたので」
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