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朝のコンビニで新商品の資料をプリントアウトしながら、郁は大きくため息を吐いた。
本当に朝から営業のアポイントを取っていたのだけれど、直行にするほどではなかった。けれど昨日爽平とあんなことがあった以上、なるべく顔を合わせたくなくて郁は会社には行かず営業先へと向かうことにした。
本当にどんな顔をすればいいのか分からない。強姦されたとかならもっと強く居られるけれど、あんなに優しくこちらの欲求だけを昇華するようなことをされて、しかも彼の前で達してしまったのだ。思いだしただけで顔が赤くなる。
資料をファイルに閉じ、コンビニを出る。今日はなかなかアポイントが取れなかった、大手スーパーの本社に営業に行けるのだ。こんな気持ちのままでは上手いプレゼンが出来るはずがない。
「……切り替えよう」
今は爽平のことも忘れ、郁は気合いを入れて本社ビルへと入っていった。
案内されたのは会議室でそこそこの広さがある。小さなスペースに通されることが多いので少し驚いたがそれだけ商品に注目して貰えているということだろう。
今回はトクホマークがついた乳酸菌飲料で、製菓会社から出るのは珍しい商品だ。有難いことに発売前から話題になっているようで、いつもなら門前払いのこんな企業でも紹介することが出来ている。今日で決まらないとしても、ぜひ数字を取りたいという気持ちはあった。
郁がプレゼンの準備をしていると、会議室のドアが鳴り、社員が顔を出した。
「えっと……宮東さん、ですか?」
「あ、はい。担当の……」
「岩薙です。いつもはメールだけで失礼しています」
名刺を手渡され、郁もそれに倣い名刺を渡す。いつもプレスリリースなどを送っているが、検討します、の一言だけ送信されてくる程度の付き合いで、担当と言っても会うのはこれが初めてだった。背の高い、若い社員でおそらく爽平と同じくらいだろう。この会社の規模を考えると、清涼飲料水としてはまだ知名度のないウチの担当はそのくらいで十分なのだろう。
「こちらこそ。本日はお時間頂いてありがとうございます」
郁が頭を下げてから微笑むと、岩薙が一瞬遅れて、こちらこそ、と頷いた。
「僕、いつも資料作ったりメール送ったりデスクワークが多いので、プレゼンってちょっと緊張します」
元々郁は担当の数が少ない。この地味さを見て課長が営業に出すよりもデスクワークをさせる方が効率的と判断しての事だった。郁にとってもそれは有難いことだった。仕事関係の知り合いは少ないに限る。
「あ、部屋は大きいですが、今日は私と上司、店舗統括の三人なので大丈夫ですよ」
岩薙が、でも人数は関係ないですかね、と笑う。郁はそれに笑い返した。
「でも少し緊張が解けました」
郁が答えると、すぐにドアが鳴り、開いた。遅くなりました、と入って来たのはさっき岩薙が言っていた二人だろう。その内の一人、店舗統括だと紹介された尾塚という男が郁の顔をじっと見つめる。なんだか嫌な視線に、郁はわざと彼の視界から外れるように座って、商品の説明を始めた。
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