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 翌日も直行というわけにはいかず、郁は少し怯えながらオフィスへと入った。そこに爽平の姿がないことにほっとする。このまま朝の業務を片付けてすぐに営業先に行ってしまおうと思った、その時だった。 「おはようございます、宮東さん」  そんな声が背中に掛かり、郁はびくりと肩を震わせてからゆっくりと振り返った。そこに笑顔の爽平がいる。 「高瀬くん……おはよう」 「宮東さん、少し話があるので、いいですか?」  爽平が視線をオフィスの外へと向ける。それに頷いたらきっと先日のことを話すのだろう。これ以上あの時のことは思いだしたくない。 「ちょっと、無理、かな……」  郁は苦く笑ってから自分の席へと着いた。そこへ爽平が近づく。 「じゃあ、仕事しながらでいいんで、聞いてください。あの時言ったこと、俺は本気です。宮東さんのことがす……」 「分かった! 場所を変えようか、高瀬くん」  郁が爽平の言葉を遮り、立ち上がる。爽平の顔を見やると、一瞬驚いた表情になり、すぐに微笑んだ。 「はい。ミーティングルームに行きましょう」  爽平の言葉に郁は渋々頷いた。  静かなミーティングルームのドアを閉め、郁は先に部屋に入った爽平の背中を見つめて、ため息を吐いた。 「……で? あんなところで何言うつもりだった?」  近くの椅子を引き寄せ郁が腰を下ろす。その様子を見ていた爽平が、好きです、と口を開いた。 「宮東さんが好きです、と……この間の提案は取り下げません。俺じゃ相手になれませんか?」 「それって、僕のセフレになりたいってこと? 高瀬くんが僕に求める関係ってそういうもの?」  視線を外したまま聞くと、目の端で爽平の顔が辛そうに歪む。もし爽平の気持ちが本当に恋なのなら、好きな相手のセフレになるなんて歯がゆいだけだろう。自分ならお断りだ。 「違います、けど……宮東さんが他の誰にも触られないようになるのなら、それでも今は構いません。あなたを誰にも、一瞬だって渡したくない」  こちらに向けられる視線が熱い。独占欲なら感じたことくらい何度もあるけれど、それは下心ありきのものだ。『このメスは俺のものだ』という男の本能のようなもので、それが心地いい時もあったけれど、大人になるにつれ、鬱陶しいと思うようになっていた。  彼らは自分の中にぶち込むことしか考えてなかったから。自分にはその程度の価値しかないのだと値札を貼られているような気分になるのが、とても嫌だった。  けれど爽平の主張は違う。自分のものにしたいという思いはあるようだけれど、どこか違うようだ。 「僕なんて好きになるところ、ないだろ?」 「それは、宮東さんが自分の魅力に気づいてないだけです。宮東さんは誰が見ても素敵な人です」  好きにならない方がおかしい、と爽平がはっきりと告げた。  その言葉に郁の胸がじわりと温かくなる。郁はなんとなく背筋を伸ばしてから、爽平をまっすぐに見つめた。 「……高瀬くんって、新人の頃、優秀だったよね」  郁がぽつりと言うと、爽平は驚いた顔をして、それでも、そんなことは、と謙遜しながら首を振った。 「山城くんに聞いた。実際、二課に来てからも優秀だと思うよ。仕事もいっぱい取ってくるし、上司の覚えもいい。だから割と早く出世すると思うんだよね」 「……それが、何か……」  郁の話していることの真意が分からないのだろう。爽平が眉を下げてこちらを見つめる。 「でもさ、やっぱりウチはまだ古い体質が残ってて、結婚も昇進の重要なファクターになるんだよ。言ってること、分かる?」  爽平の目を見つめると、その顔が悲しそうなものになり、こくん、と頷いた。 「でも俺、出世に興味ないです。今は、宮東さんのことだけで……」  切なそうな爽平の顔を見ていられなくなって、郁は視線を背けた。それから一瞬唇を噛み、あのね、と口を開いた。 「僕、出世に興味のない男に興味ないんだ。稼ぎたくてギラついてるくらいが好き。だから、高瀬くんとどうにかなるなんて考えられない」  このまま可愛い後輩で居て、と郁が立ち上がろうとした時だった。椅子の背もたれを両手で掴まれ、驚いて顔を上げると、苦しそうな爽平の顔が間近にあった。 「嘘です。宮東さん、嘘吐くとき癖があるの、知ってましたか?」 「癖……?」 「知らないならいいです。俺だけが知ってればいい。とにかく、今の言葉は嘘なので、俺は諦めないです」  爽平は言いながら郁の胸に指を滑らせた。スーツの襟から手を入れ、シャツ越しに胸に触れる。郁の肩がびくりと震えた。 「高瀬くん、離れなさい」 「分かりました。まだ朝ですもんね」 「いや、そういう意味では……」 「とにかく、お店は辞めてください。あなたの欲求は俺が満たします」  そういうことなので、と爽平が郁から離れる。先に戻ります、と言った爽平がドアを開けて部屋を出ていくと同時に、郁は深いため息を吐いた。 「あいつ何……? これだけ言っても諦めないって結論になるか? 普通……おかしいの? ばかなの?」  思わずもれた独り言に郁は再び大きくため息を吐く。  ――イケメンで、仕事が出来て、愛想がよくて、優しいアイドルみたいなノンケが、僕のことをずっと好きでいてくれるわけないだろ。  今度は『本当の恋は結婚できる人とする』なんて言われるのだろう。きっと誰も、自分と本当の恋なんてしてくれないのだ。  そう思うと、郁の胸はぎゅっと痛んだ。
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