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「ホントにパスタ食べただけだった……」  男と会って食事をするだけで解散したのなんか初めてのことで、郁はその週末になってもその日のことを思い出していた。 「郁ちゃん、話聞いてる?」  隣から響く、そんな声で意識を現在に戻した郁は、慌てて隣に視線を向けた。いつものバーのカウンター、隣にはいつもの梅沢が少し不機嫌な顔で座っている。 「いつ来ても梅さんここにいるから、住んでるんじゃないかって話?」 「そんな話してないわよ」  それに住んでないわよ、と梅沢の顔が益々険しくなったので、郁は、ごめん、と素直に謝った。 「もー、聞いてなかったでしょ。だからね、ダーリンが最近冷たいのよ。仕事忙しいとかって」 「笹井さんって本業は会社経営でしょ? んで飲食店もやってるんだから、そりゃ忙しいよ」  梅沢からも趣味が高じてやってるお店と聞いていたし、店の先輩たちからも『オーナーの本業はIT系の会社の社長さんだよ』と教えてもらった。先輩たちは、だからあまり店に来ないよということを伝えたかったのだと思うが、その時の郁は『梅さん玉の輿だったんだ』としか思っていなかった。 「でも、劇的な変化なんかないじゃない。どっちの業績も安定してるみたいだし……正直、郁ちゃんが入店したあたりからなのよ、ダーリンと会えなくなってきたの」  梅沢が少し眉を下げ、それでも不満そうにこちらを見やる。何を言いたいかはわかったが、あまりにその考えが飛躍していて、郁は思わず笑ってしまった。 「郁ちゃん、こっちは真剣に……!」 「ごめんって。僕が原因なんだとしたら、出来が悪すぎるから心配なんじゃないかなあ?」  確かに店で笹井に会うことはある。けれどそれだけだ。あれだけ魅力的なキャストが居て、今まで何もなかったのだから、郁ごときが笹井に影響することなど何もないだろう。 「そう? そりゃね、ダーリンのことも郁ちゃんのことも信じてるけど……」 「そうだよ。笹井さん、梅さんのこと大好きでしょ。あ、それに僕、この間指名ついたから、きっと心配も減ってるはずだよ」  だから時間も出来るんじゃないかな、と郁が言った時だった。 「その話、昨日聞いた。やったな、ミヤ」  そんな言葉と頭を撫でる手に驚いて郁が振り返る。そこにはスーツ姿の笹井が立っていた。 「約束の時間に少し遅れたな。悪かったよ、ハニー」  笹井はそのまま梅沢の元へと歩き、立ち上がった梅沢を抱きしめる。その様子を見ていた郁が大きく息を吐く。 「やっぱり、ダーリンとかって時代遅れな呼び方してる人には、ハニーって返すやっぱり少しダサい人がお似合いなんだと思うよ」  相手は僕じゃないね、と眇めた目で梅沢を見上げると、その顔が急に申し訳なさそうに歪む。 「郁ちゃん、ごめんってば!」 「これ奢ってくれたら許す」  郁がグラスを持ち上げると、もちろんよ、と梅沢が答えた。 「じゃあ全部こちらで出すよ。指名祝いも兼ねて。ついた客、なかなかの上客らしいじゃないか」  笹井がカウンターの中のバーテンダーへカードを差し出す。バーテンダーがそれを受け取る。それを見てから郁が、上客か知りませんが、と口を開く。 「皇紀さんのお客さんのお連れ様だとは聞きました」 「アプリやシステムの開発してる、ライバル会社の社長だ。ミヤが嫌でなければ、店側にNGはないからね」  どんどん営業して、と笑う笹井にバーテンダーがカードを返す。郁は、ごちそうさまです、と笑んでグラスを持ち上げた。 「一人飲みは危ないから、深くなる前に帰る様に」 郁の頭を撫でた笹井は梅沢を連れて店を出ていった。 「いつもの遊び場で危ないって言われてもな……」  郁は目の前に居たバーテンダーに、ねえ、と同意を求めた。けれどバーテンダーは、気を付けるに越したことはないですよ、と笑う。 「んー、じゃあ帰ろうかな」  スマホをポケットから取り出し画面を見るとそろそろ日付が変わる頃だった。今店を出れば電車で帰ることも出来る。  郁はグラスに残っていた酒を一気に煽り、カウンターに、ごちそうさま、と戻した。それからカウンターチェアを後ろに廻す。  そこで足元に人影が見え、郁が顔を上げた。
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