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 ミーティングルームの一番奥の席を選び、郁を連れて来た爽平はパーテーションをしっかり閉じてから、再び大きなため息を吐いた。  先に椅子に座っていた郁がそんな爽平を見上げる。 「宮東さん、これ、一口ずつでいいんで食べて軽く感想くれませんか?」  机にさっきの女子社員から押し付けられた紙袋を置き、爽平が向かい側に座る。 「……どういうこと?」 「俺、他人の手作りのもの、食べられないんです」 「食べられないって……潔癖症?」  そんな素振りはこれまでなかった気がする。そもそもそんなものを持っているのなら、郁の体になんか触れられないはずだ。 「いえ、そこまでではないんですが……小さい頃、祖母がトイレ掃除の後におにぎりを握ってるのを見てから、他人の手が汚いものに見えてしまって……もちろん、祖母がちゃんと手を洗ってから握ってたのも分かってるんですが、未だに自分の知らないところで作られたものには抵抗があって」  再び大きくため息を吐く爽平に、郁は小さく笑った。それを見て爽平が少し不機嫌な顔をする。 「ごめん、可愛いトラウマだな、と思って」 「結構大変なんですよ。学生の頃も模擬店の食べ物は食べられなかったし、でも食べられないなんて言えないし……よくトイレで吐いてました」  それを聞いて郁は、やっぱり優しいのだなと思った。きっと自分が同じような状況になったら、食べられないと素直に言ってしまうだろう。多少孤立しても自分の苦痛は避けたい。 「それで、僕にこれを食べて貰おうって?」 「はい。宮東さんが大丈夫なら」 「まあ、大丈夫だけど……食べなくても感想は言えるよ」  郁は紙袋の中からサンドイッチを取り出し、分解するようにパンを広げた。 「パストラミとゆで卵レタスか。味付けはマスタードとマヨネーズだから、スパイスが効いてて美味しかったよ、なんて言うかな、僕なら」 「……なるほど。じゃあ、クッキーは?」  爽平が驚いた顔をしてから聞く。郁はクッキーの袋を開け、一つ取り出すとそれを手で割った。 「固めだから、サクサクしてるんだと思う。ココアとプレーンがあるから、サクサクしてて美味しかったよ、プレーンの方が好みかな、とか言えばいいんじゃないか?」  こんなものは世辞とはったりだ、と爽平を見やると、すごい、と爽平が目をキラキラさせる。 「食べなくても感想って言えるんですね」 「大体な、高瀬くんにこうして差し入れするヤツは高瀬くんが好きなヤツなんだから、適当に『美味しかった』って言っておけばそれでいいんだよ」  真面目か、と笑って爽平の頭を撫でる。  自然に出てしまった手に、自分で驚いて引っ込めようとすると爽平にその手を掴まれた。 「……良かった。宮東さんから触って貰えた」 「……どういうこと、だ?」  爽平は掴んだ郁の手を繋ぎ、こちらを見つめた。 「この間……繋いだ宮東さんの手、少し震えてたから。我慢して繋いでくれてたのかと思って」 「震えてたのは、高瀬くんの方だろ」 「宮東さんですよ」  爽平が繋いだ手を更にぎゅっと握る。そう言われてしまうと、あの時尾塚にあのまま攫われていたらと考えて怖くなったことを思い出し、震えていてもおかしくなかったかもしれないと思う。 「もし、震えていたとしても、それは多分高瀬くんが原因ではないよ」 「ホント、ですか?」  郁は頷いて爽平の手を握り返した。爽平が嬉しそうな顔をする。その顔を見て、郁の胸はドキリと跳ねた。それを隠したくて郁が視線を逸らす。 「あんな状況だったんだ。分かるだろ」 「そうですね……これからは俺が宮東さんを守ってあげたいです」  ぎゅっと強く手を握られ、郁が爽平に視線を戻す。 「守るって……」 「恋人のフリ、くらいならさせてもらえませんか? この間みたいに……宮東さんが助けを呼びたい時、一番に呼んで欲しいんです」 「それは……あまりにも僕に有利すぎるよ」  そんなことできない、と郁が手を離そうとすると、いいんです、と爽平が真剣な目をこちらに向けた。 「一瞬でも宮東さんの恋人になれるなら……」  爽平の表情に影が落ちる。一瞬でもなんて言いながら、きっと一瞬だけなんて切なく思っているのだろう。こんな顔をするなら、そんな提案しなきゃいいのに、と郁は小さく笑った。 「分かった。困ったときは一番に呼ぶから、その代わり、高瀬くんも僕に頼って」 「……はい!」  爽平が嬉しそうな顔で大きく頷く。それを見て郁も微笑んだ。 「とりあえずこれは僕が持って帰って家で処理するよ。さすがに僕も直接の知り合いじゃない人の手作りは食べられない」  郁は手早く広げたものを元に戻し、紙袋に詰め込む。それを持って立ち上がると、そのままミーティングルームを出た。その後を爽平が付いていく。 「宮東さん、お昼外で食べませんか?」  社内はまずいので、と爽平が郁の隣を歩く。郁は自分の手元をちらりと見てから、そうだな、と頷いた。  爽平は女子社員に、すぐに外回りに行くから、と軽い嘘を吐いている。このまま会社で昼食を摂るわけにはいかないだろう。郁もこの紙袋を持ったまま社内を歩き回るわけにはいかない。 「宮東さん、お蕎麦好きでしたよね。美味しいお店、リサーチしてあるんです」  爽平が自身のスマホを取り出して微笑む。郁はその言葉に驚いた。 「僕、蕎麦が好きなんて言ったか?」 「聞きましたよ。宮東さんのことなら、何でも覚えてます」  その言葉に郁の心臓が跳ねた。まるで『好き』と言われているような言葉に、郁の体温はふわりと上がっていく。 「何でも、は、困る……」 「無理ですね――宮東さんが好きですから」  耳打ちするように囁かれ、郁は慌てて爽平から距離を取る。それから少し速足でエレベーターホールへと歩いた。
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