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「いったいどういうつもりですか⁉ フェルセン家のご令嬢と兄が知れば、憲兵がやってくるのですよ!」
「申し訳ありません……」
エリーは自分のしたことを猛省した。
「しかし……」とセナは苦虫をかみつぶしたような顔でする。「あなたが一本取った上官は、我が軍で最も勇猛な男。おそらく、さきほどの試合で噂が広がるでしょう。行軍させない理由を何か考えなければ」
「では、私も軍に入れて、戦わせてください」
エリーは跪くと、セナの表情は一層曇った。
「それがどういうことか、お分かりか?」
「はい。私は父のように命を賭して、この国を守りたいと常々そう思っていました。戦で戦って死ぬのであれば、それが本望です」
セナは頭を抱えると、長いため息を吐いた。
「常識外れのおてんば娘だと聞いていたが、まさかこれほどとは……分かりました。私の近衛兵として行軍できるようにします。兄上を止めるためには、今以上の勝利を連ね、父である王に献言できる機会を得なければいけません。戦は、これから、より激しくなります。よろしいのですか」
エリーは跪いたまま、深く頭を下げた。
***
「私が囮になって敵を攪乱する。その間に敵の武将を討ってくれ」
セナは馬の頭を並べて走るエリーにそう伝えると、襲歩で右翼と併合した。
行軍から三度の戦闘を経て、エリーの実力はセナ軍を支えるものに変わっていた。兜をかぶり顔を見せない不敗の戦士は、敵国にとっても不気味な存在で、セナ軍はそのおかげもあり連戦連勝を重ねていた。
意に反してエリーの力を借りることになってしまったセナだが、この国の最高兵力を誇る近衛兵はエリーのもとにあった。
セナにはカリスマ性がある。小隊のなかにセナが入ると、一つの生き物のように動き、近衛兵のような強さを敵に見せつける。
敵はセナにかかりきりとなったところで、エリーは馬の速度をあげた。
近衛兵たちが鉄壁の守りでエリーを守る。エリーのバネのような、伸びのある攻撃は、敵の兵を一太刀ごとになぎ倒していく。
セナを超えた火矢のような攻めは、苛烈を極めた。
敵の武将は刀をとる暇もなく、天幕で追い詰められて降伏した。
エリーは勝鬨をあげると、遠くのセナがそれに応える。
セナとエリーは戦場でひとつになったのだった。
***
王国の城は軍隊が常に出入りをしていた。エリーは鎧兜を装備したまま城門を通る。隣にはセナの姿があった。
セナ軍は攻め寄せる敵軍の主力を悉く打ち破り、褒章の授与と謁見の機会を与えられたのだった。エリーは身分を隠したまま、セナの右腕の武将として同席が認められた。
エリーとセナは謁見の間に通され、列席に向かい合う形で並ぶ。高みに玉座があり、その背後から神と勇者をモチーフにしたステンドグラスが、赤い絨毯に影を落としていた。
エリーたちの向かい側にも皇子が座るであろう席が設けられて、貴族や元老と思われる人々が集まりつつある。
そこに第一王子カルロスが現れると、みな跪いて頭を垂れる。
カルロスの表情は温和で、鼻の下に柔らかそうな茶色の髭を生やしている。赤と青の格子状のマントを羽織り、頭にはシロツメクサの文様が光る小さな王冠を被っていた。
エリーは密かに顔を下げながらも、カルロスをじっと睨み続けている。憎悪の対象はエリーが思うよりも弱々しく、女々しく見えた。
カルロスが席に着くと、やがて誰よりも高い位置に設けられた玉座に王が座る。
「これより授与式を始める。敵の主力軍である武将を討った第二皇子セナ、王の御前に」
セナは返事をして立ち上がり、王の前に立った。王の代わりにカルロスが席を立ち、臣下がもつ勲一等のメダルを手に取る。
カルロスがセナの前に来ても、セナは跪かなかった。
「私はこの汚れた手で勲章を頂きたくはありません」
セナはカルロスを怒った目で睨むと、カルロスは一歩さがり眉をひそめた。
臣下は「無礼者!」と怒鳴ったが、ピクリともセナは動かない。
「誠に恐縮ですが、謁見できる貴重な場をかりて上申させていただきたい」
謁見の間に家臣たちの声が響く。騒然とする中で、王は微動だにしなかった。
「第一皇子カルロスは、ここにいるフェルセン家のご令嬢、エリー・ベルト・フォン・フェルセンを魔女の罪で国外追放しました」
エリーは立ち上がり兜を取ると、カルロスは目を見開く。エリーが王を見上げると、王の影がゆっくりと動いたようだった。
「エリー嬢は私を頼り無罪を主張しました」
セナが言い終わると、王が口を開く。
「カルロス、セナ将軍の訴えは真実か」
王の野太い声が天井から降り注ぐように響いた。
「いえ! 全くの言いがかりです。……この女は侯爵の娘という立場でありながら、夜な夜な男どもと戯れて、肉欲に興じ男を弄んでいるのです!」
この時代に女性が複数の男性と関係を持つことは罪に問われた。まして王族と関係がある貴族の部類であれば、王国の品格が問われることもあり、重罪となることもあった。
エリーは拳を固く握りしめた。嘘、偽りがどうして、よどみなく出てくるのか。
ここは謁見の間。そう言い聞かせて、高ぶる気持ちを抑える。
「エリー嬢は、夜な夜な男と遊んでいる……。それは大きな勘違いです」セナは自分の家来に合図をすると、一人の兵士が謁見の間に入ってきた。
エリーはその男に見覚えがあった。
「この男は、エリー嬢とフェンシングをして負けています。夜な夜なエリー嬢は剣技を高めるため、男と試合をしていたのです。そうであろう、エリー嬢?」
「……はい。士官学校の女性では相手にならなかったので、未明に強そうな兵士に声をかけて試合をしておりました……」
「そこで負けた男どもが、酒場で嘘を広めた。そうだな?」
広間の扉に狼狽えて立ち尽くす男が口を開く。「その通りです! 申し訳ありません……。エリー様、どうしても女に負けたことを認めたくなく、みなで画策して嘘を言っておりました。……本当に、申し訳ありません」
「嘘だ! その男を買ったのだろう!? セナ汚い真似を!」カルロスは居丈高に声を上げると、セナの胸を突いた。
「では、エリー嬢と戦ってみたらいかがでしょうか」
セナは剣を抜くと、周りの臣下が歩み寄って、セナとカルロスの間に人の壁を作る。
しかし、カルロスはその壁を押しやった。
「……いいだろう。貸せ」
カルロスは褒章を床に落として、背筋をピンと張ると、エリーに対して剣を構えた。
セナは目を丸くしているエリーにウインクする。
女性はあくまで非力。カルロスの固定観念は揺らぐことがない。妹のように、女は口先だけで何もできない存在だと、カルロスは千載一遇のチャンスにめぐりあったと思った。
しかしエリーが剣を抜いた瞬間、カルロスの右手にあったはずの剣は宙に舞い、落ちるとエリーの左手のなかにあった。
あまりに突然のことで、謁見の間は時を失ったかのように沈黙する。
カルロスは王を見上げて、膝を震わせた。
「……知らなかった! 知らなかったのです! 父上!」
カルロスは無言の王から恐ろしいほどの圧力を感じていた。
「しかし、これだけではありません」
膝をついたカルロスをセナは見下ろす。
「カルロスがエリー嬢を国外追放したのは、フェルセン侯爵を殺すため暗殺者を放ったからです」
謁見の間が騒然とする。カルロスは下唇を噛んだ。
「快活なエリー嬢がいずれは真相を突き止めることを危惧し、カルロスはエリー嬢を国外追放した。フェルセン侯爵が亡くなってから、私は暗殺者を突き止めました」
「……もういい」
カルロスは力なく項垂れると、石畳に手をついて嘆く。
「すべては王国のためだった。フェルセン侯爵は敵に味方の情報を送り、スパイ行為を繰り返していたのだ」
「……違います。兄上。フェルセン侯爵は敵と停戦を行うため、秘密裏に敵国に忍び込み交渉を続けていたのです。……兄上、城の中に居たまま重大な判断をしてはなりません。フェルセン侯爵は王国の基盤を支える重要な人物だったのですよ」
コツン、と王が権杖を鳴らした。
「王子カルロス、おぬしは誤った判断により王国の忠臣を暗殺した。そして暗殺の証拠を隠すため、罪なき娘を国外追放した。その罪は重い――よって二十年間、塔に幽閉する。また、娘を裁判した賢老議会は解散。臨時議会の選出は第二王子セナに任せる」
王は立ち上がると、みな頭を下げ、カルロスを残して敬服した。
新政権の実権は第二王子セナが握り、カルロスは獄を抱き王国から忘れ去られる。
セナは正装した姿で礼拝堂の高見台から街を見下ろした。
軍神と言われたセナを讃える兵士たちと、住民たちが笑顔で祝福している。手を振ると王国全体が歓喜の声に包まれた。
高見台にエリーが上がると、女神と流布された姿を見て、兵士はさらに鼓舞され女性たちは卒倒する。神父の前で、セナはエリーの横顔を覆う真っ白なレースを上げると唇を重ねた。
真紀の助言の通り、エリーは王子妃となるのだった。
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