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町はずれの軍事施設。荒々しく削り出された看板には訓練場の文字。
エリーは兵士の恰好で、開いている門を通った。
兜をかぶっているエリーは、長い髪を鎧の下に通していたので、外見で女性とは分からなかった。門番も自分たちと同じ国の甲冑を着けていたので、不審に思うこともなく、あっさりとエリーを中に入れた。
少し高台になっている荒地に作られた施設は、中央に天幕があるだけで、ほとんどが安っぽい木柵で囲われているだけだった。敵兵を模した古い木偶に、兵士が打ち込んでいる。設備は古く簡素なものだったが、兵士たちの士気は決して低いようには見えなかった。手前は歩兵隊の訓練場のようで、木柵の向こう側は騎馬隊のものなのだろう。土埃のなかで時折、銅鑼と怒号が聞こえ、馬の走る振動が地面から伝わっていた。
「おい、お前、訓練生か? 若いなあ、見たことない顔だな?」
鋭い目つきの男がエリーの肩を掴んだ。エリーは反射的に手を取り上げてしまう――ついさっき起きたショッキングな事件を、心はまだ整理できていなかった。男が触ると体が勝手に動いてしまう。
「お? 威勢がいいな」男はエリーの袖をつかんで力強く引き寄せると投げ倒そうと、内股に足をかけた。エリーはさっと腰を低くして、男の胸元に入りこみながら体を反転させる。そして男のもう片方の袖をつかんだ。
男は意図せず、エリーの背中に身をあずけてしまうと、ぐるりと宙で回転させられ地面にしりもちをついた。
「……まいった」
目をクルクルさせながら、手をあげると男は降参のポーズをする。
やってしまった後、エリーも自分のしたことに目を丸くした。ほとんど反射的に体が動いてしまったのだった。しかしそれよりも、周りの空気がピンと張りつめたことにエリーは気付いた。
男は前髪をかきあげて笑顔になると、立ち上がりエリーと握手する。
「君強いね! ちょっとお手合わせ願おう」
男のヒスイ色の瞳と目が合い、エリーは気付いた。
「第二王子セナ様ですか?」
随分前に王族が開く交流会で、遠目からセナの姿を見たことを思い出した。
まだ十代のころのセナは、じっと席に座っているのが窮屈なようで、きょろきょろとヒスイ色の眼を動かすと王族の席から抜け出した。そんな美しい瞳が気になり、幼少のエリーも世話係の目を盗んでセナの後を追った。
城の地下へ階段を降りると、兵士たちがパーティー会場からくすねてきた酒を並べて、カードゲームを興じている。セナもそのテーブルにつくと、兵士たちと一緒に楽しんでいた。しかし、まもなくお目付け役がやってくると、セナを厳しくしかりつけた。セナは隠れて見ていたエリーに気付き、バツが悪そうに頭を掻くとちっとも反省などしていない様子だった。
そして、そのセナが同じ仕草で木刀を投げ渡す。
「……ほら、甲冑は脱がないの?」
もし女性に投げ飛ばされたと分かれば、セナに悪評が立つかもしれない。エリーは兜と甲冑を着たまま構えた。
――真紀は言っていた。
「エリー様が貴族に戻れる可能性として、ひとつだけ方法が。それは第二王子のセナ様に気に入っていただき、できれば結婚すること。その才覚がエリー様には必ずあります」
エリーはセナと向きあって剣を構えると、不思議なことにおもしろさが込み上げてきた。
士官学校では男と戦うことは禁じられていたが、軍神と噂されているセナと戦えることは光栄であり、自分の力を試せる機会に心が弾む。
セナは一瞬に間合いをつめて、斬り込んでくる。その速度は今までの対戦してきた相手――士官学校の指南役すらも超える速さだった。
薙ぎ払い、受け流し、鍔迫り合いをして、エリーは防戦一方となる。
「甲冑を脱がないからだよ」
近づけた顔でセナはウインクすると、エリーの心臓は高鳴る。男性をこれほど近くで見たのは父親以外いなかった。いつかのいたずらめいた新緑の瞳に、自分の姿だけが映っている。エリーは目をそらした。
「あれ、君は?」セナは犬のように鼻を動かすと「女?」とつぶやく。
エリーは焦って、力任せにセナを鍔で押して体を弾くと、セナの手元を狙って打ち込む。一刀一刀、木くずが飛び散るほどの強打で、セナの木刀は中腹からへし折れた。
「まいった!」
猛攻するエリーに片手を突き出して止めるセナ。見ていた兵士たちは、感嘆の息を漏らして拍手した。
「こっちに来てくれ! すぐに入団手続きをしよう」
セナはエリーを宿舎に案内した。
天幕に入ると、中央には円卓があり正面に国旗が飾られていた。隅には筆記しやすいように傾いた筆写台があり、トネリコ材のイスに紋章が刺繍されたマントが掛けてあった。
部屋はセナとエリーだけで他に兵士の姿はなかった。
「君は、フェルセン家のご令嬢では?」
セナは振り向き様に尋ねると、エリーは兜を脱いだ。
外の兵士とは違う、雪のような白い肌を見てセナは確信したようにうなずいた。
「セナ王子。どうか、カルロス王子を止めてください」
膝をついてエリーは頭を下げた。
「どういうことだ、話を聞こう」
セナはカルロスという単語を聞いた途端に、声色が変わり背を伸ばす。エリーは変貌したセナの気配に一瞬狼狽えた。
「私はカルロス様に魔女の烙印を押されて、国外追放となりました。淫猥な行為をしていると、いわれのないことを一方的に賢老議会で決めつけられました。おそらくはカルロス様のご令妹を無下に扱った仕返しかと。しかし、それだけでこの仕打ちはひどすぎます」
しばらくセナは顎に手をやって考え込むと、訓練場で見せた柔和な表情に戻る。
「エリー殿、もう大丈夫です。よく、ここまで来てくれました」
セナは優しい口調になるが、すぐに眉をしかめた。
「……ただ、エリー殿にはつらいかもしれないが、伝えておかなければいけないことがあります」
背を向けるセナを見てエリーは心の中がざわつく。
「フェルセン侯爵が亡くなられました」
あまりに突然のことに、エリーは驚いて動かなくなった。痛ましい事実をいつ告げるべきか、セナの思うところはあったが、エリーが頼れる身内はいない。やはり、他人の口から知るより、頼られた自分が切り出すべきだと考えていた。
エリーは口を覆うが、よく現状をつかめていないようだった。
「兄はエリー殿の後ろ盾であるフェルセン侯爵が亡くなったことを見越して、突然に魔女裁判を開いたに違いありません」
ふと、小さくなったエリーに気付くと、セナはしゃがんで肩に手をあてた。
「……今日は色々と大変だったようですね。エリー殿の宿舎を用意しますので、今日はそこで休んでください」エリーは声を抑えて頷くと、セナはいたたまれなくなった。「きっと、フェルセン侯爵のことについては私が明らかにします」
セナは幕舎を出ると、配下にエリーの部屋の準備をさせた。
エリーの件以外にも、カルロスの暴挙はいくつかあった。セナは今回の事件で意を決すると、軍神と噂され、敵も慄いた恐ろしい表情に変わる。
「兄上、もうこれ以上、我慢なりません」
訓練場に剣戟の声が響き渡った。
夜、テントのなかでひとり、エリーは体をふいていた。
街道で取り上げた兵士のリンネルは、ひどい臭いがして、早く洗いたいと思っていたところに、セナが新しい下着を用意してくれた。
――優しいセナ王子は、カルロスに鉄槌を下すまで私を匿ってくれるでしょう。でも……
エリーは居心地が悪い。男の所有物になることを拒絶していたエリーは、結婚を勧めていた父に再三反対をしている。人形のようにじっとしていれば言い寄ってくる男は山ほどいるのに、と士官学校に通い始めてからは何度もそんな陰口を聞いた。
兵士用の下着を着て、藁の上にシーツを敷いた簡易ベッドに座る。
――いまは自重しないと。
そう言い聞かせて、エリーは横になった。
朝、銅鑼の音で目が覚めた。
天幕の隙間から外を覗くと、兵士たちが隊列を作り行進している。木柵で区切られた訓練場では、訓練生と上官だろうか、木刀で立ち合い稽古が始まっていた。
上官は顎ひげをたくわえており、熊のように大柄だった。多くの戦を経験してきたであろう、右ほおには5インチほどある傷跡があり、肩を叩いている木刀が仕立て屋の定規のように見える。
顎ひげ男の檄を受けて、訓練生は果敢に男へ打ち込むのだが、木刀は弾かれて届かない。反対に、訓練生は顎ひげ男の木刀に足をすくわれて横転した。次々に訓練生を転ばせたあと、顎ひげ男はひどく怒った。
「いったい、士官学校で何を学んだのだ!」
その怒り顔の前に、兜をかぶった者が木刀を持って対峙した。エリーだった。
顎ひげ男は怪訝な顔つきになると、さらに怒りが沸騰する。
「そのふざけた格好でわしと稽古するのか⁉ ああ……そういえば、昨日王子に遊んでもらって入隊した奴か?」木刀を兜に向けると、顎ひげ男は命令口調になる。「その兜をとって顔を見せろ」
エリーは顔を横に振ると、木刀を構えた。
「……ふざけたやつだ。いいだろう、地面に這いつくばらせて、兜をとってやる」
顎ひげ男は、膂力にまかせて一刀を振りかざす。エリーは木刀で受けようと思ったが、瞬時の判断で身を引いて躱した。空中を裂く音が衝撃波のように顔にぶつかる。
エリーの口元から笑みが零れた。
フェンシングのように身を低くすると、バネのような足で地面を蹴り、素早く顎ひげ男の間合いに入る。一点を貫く、伸びのある突きを放つと、顎ひげ男は木刀の柄の部分でそれを弾いた。しかし、すぐにエリーは弾かれた勢いで身を回転させると、水平に木刀を振り、顎ひげ男の首元をねらった。連撃に対応できず、顎ひげ男は不意を突かれる。エリーは太い喉仏の前で木刀を寸止めした。
地べたで観戦していた訓練生たちが思わず歓声を上げると、じろりと顎ひげ男が見下ろした。
「……まさか、王子と同じになるとはな」と、顎ひげ男はエリーの後ろにいる者に語った。エリーは後ろを振り向くと、セナ王子があきれ顔でこちらを見ている。
エリーはセナ王子に連れられて、自分のテントに入った。
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