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7. 東京転勤
実は僕も東京転勤を打診されていた。秋に始まる夜のニュース番組のお天気キャスターに、声をかけられているのだ。
なぜ僕が? と最初は戸惑ったが、その番組のメインキャスターが飯島喬太郎さんで、飯島さんの推薦だと聞いてさらに驚いた。飯島さんは硬派のジャーナリストとして知られていて、新聞社を辞めてからはフリーの記者として活動していたのを、あるテレビ局が熱心に口説いて冠番組を作ることになったのだ。
「飯島さんは、お前を是非にと言ってくれている。もちろん、イケメンだからとか桜の開花予報がネタになるとか、そういう理由じゃない。それはお前もわかっているだろう」
島村課長は言った。
実は僕が父を亡くした水害の時、飯島さんは取材で来ていて、幼い僕は災害遺児として彼と出会った。その後も飯島さんは復興の取材を何年も続けていて、他県に引っ越した僕の所にも取材に来てくれた。中学生になっていた僕は、災害予防に貢献できる気象予報士になりたいと話したのだ。
飯島さんはそんな僕を覚えてくれていたのだ。僕が地方で気象予報士になったのを知っていてくれたのだ。それが嬉しくて、泣きそうになった。
けれども、地元を離れることに迷いがあった。兄は進学を諦め、高校卒業後は市役所に就職し、僕だけ大学に進学させてもらった。父のいない家庭で、母には大学進学の費用で負担をかけた。
飯島さんの下で働けば、きっと防災に役立つ気象予報を究められることはわかっている。でも、僕だけ自分勝手に地元を捨てて、上京なんかしていいのだろうか。僕は即答できず、島村課長に少し時間が欲しいと言ったのだ。
「私は、一緒に行けたらすごく嬉しい。二人で助け合い、切磋琢磨して頑張れたらいいなって思っているのよ」
凪沙さんは僕の顔を真剣に見てそう言った。
「これは、島村課長に言われたからじゃないからね!」
凪沙さんは恥ずかしそうに少し頬を赤らめていて、それはまるで愛の告白みたいで僕までドギマギしてきた。僕は、真剣に考えますと約束した。
「あ、あの、良かったら、このあとご飯行きませんか?」
僕は思い切って凪沙さんを誘う。
「うん。いいわよ。明日は私もお休みだから」
二人で繁華街の方へ歩こうとして、僕は急に思い出す。
「その前に、ちょっと寄っていいですか?」
昨日、サクと飲んだ店に折り畳み傘を忘れてきていた。気象予報士が急な雨に降られて濡れるのはカッコ悪いから、降水確率が30%以上の時は折り畳み傘を持ち歩くようにしていた。
昨日、サクに案内された居酒屋は鳥居を出て左に曲がり、少し行った所にあったはずだ。
「あれ?」
僕は呆然とする。店があったはずの所は広い空き地で、雑草が生えているだけだった。
「どうしたの?」
凪沙さんに聞かれ、僕は説明する。
「おかしいわね。ここは昔から空き地で、居酒屋さんなんてなかったはずよ」
酔って勘違いしているんじゃないかと言われる。そうなのかな?
「ね、傘ってこれ?」
凪沙さんが声を上げる。
見ると空き地の脇の『売地』という立看板の角に、僕の折り畳み傘がかけられていた。ますますわからない。
「傘、あったんだから良かったじゃない! さあ、行きましょう」
僕は凪沙さんに言われて、急いで彼女の後を追った。
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