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その夜も散歩にでかけた。
かつてを懐かしむ。人間の世に拒絶された私は、それ以外にできることなどなかった。
美しく狂い咲く夜の桜。ここで私は晴夜と出会った。そして私は晴夜を失った。
私はこの桜が憎かった。
晴夜を奪い、既に人でなくなった私をも更に拒絶する桜が。
ここにいればいつのまにか眠くなり、気がつけば湧水近くで倒れている。だから私はこの桜に拒絶されている、けれどもここ以外のどこかへ行くことはできない。けれども結局私には、すべてを隠すこの桜しか、訪れることができる場所ももはや、なかった。
年々、この桜が減っていた。この桜も恐らく通常のものではないのだろう。これが全て枯れてしまえば、私は真実居場所を失う。ぎゅうぎゅうに押し込められて押しつぶされて死んでしまうのだろう。けれども他にどうしようもない。
「晴夜」
思わず叫んだ。けれども桜がさわさわと揺れるだけだった。
世界を拒絶すれば晴夜のいるところにいけるのだろうか。
拒絶するには。
私はいつのまにか、晴夜と同じようなものになっていた。
ポキリと自らを折り取れば、それは丸まり饅頭のようなものになる。それを食べれば、私は他のものを食べなくても生きていける。その代わり、私はこの饅頭のようなものに近づく。今の私の姿はまるで柔らかな肉の塊だ。この世界ではどこにも生きていけない。
もはやここで全てを捨ててしまおう。
私は投げやりな気持ちで、ぽきりぽきりと私の一部をどんどんと分離していく。けれどもそれは、たいして意味のない行為だ。以前も私は、有り体に言えば死んでしまおうと、自らをバラバラにしたことがあった。バラバラになればなるほどバラバラの私は意識は砕け散り、その無意識の食欲によって再び私を食べ始め、自我が再び統合される。だから結局は、無為だ。
「桜が憎い。この桜が」
何故憎いのか。
最初にここに迷い込んでしまったからか。
私と晴夜の間を分け隔ててしまったからか。
私から晴夜を奪ったからか。
それとも、まだ、美しく咲いているからか。私はこのように奇妙に成り果ててしまったのに、未だ美しく咲き誇っているからか。
それとも、このわずかに晴夜の記憶と繋がる桜が憎い。
この桜がなければいっそ。
いっそ。
また晴夜に会えるのではないかという淡い期待を失うことができるかもしれないのに。私の自我の拠り所は、もはや晴夜しか、なかった。
私のかけらがパラパラと散らばる。
けれどもいつもと異なった。私の欠片に向けて、パラパラと桜が蠢いた。さわりと小さな腕が伸び、その一部を食べた。
「一体、何が?」
風が私の肉片を転がし、その小さな何かが食べる。
「おや。君はあのときの子か」
気づけば晴夜が私を見下ろしていた。変わらず、美しかった。
「夢?」
「そうだね、全ては夢かもしれない。そうか……君には申し訳ないことをした」
晴夜の美しい表情が崩れた。
「申し訳、ない?」
「ああ。君はまだ子どもだったのだ。それを失念していた。慌てていたし」
晴夜は散らばりそうになる私の欠片をその桜から生えた小さな手から受取る。
「子ども?」
「おそらく普通の大人に与える量を、分けてしまったのだ。だから君は私に負けて、私になってしまったのだろう」
「私?」
「つまり私は君を食べてしまったのだ。誠に申し訳ない」
私は晴夜に食べられてしまった、のだろうか。私はすでに大分バラバラになっていて、その意味がよく感得できなかった。
「君、どうするかい。私と一緒にいくか、ここに残るか。私の今いる世界は正直、私たちを拒絶はしないものの、楽ではない。あるいは、私は君から私は取り除くことはできる」
「私の世界に行くよりは、ここで消え去るほうがマシかもしれない」
「一緒に行く」
私は随分昔にもそう言ったはずだ。迷いなどなかった。
私はおそらく、晴夜の肉を食べる以前に、晴夜を見た瞬間から、既に私は晴夜に食べられてしまっていたのだろう。
晴夜は少し申し訳無さそうに私を見た。
「では、行こうか」
そして私の欠片を食べた。
Fin
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