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思わず見上げる。桜がざわざわと揺れている。
「何?」
晴夜も空を見上げ、様子を伺う。
「今、ちょうど世界が割れるところだ」
「世界が、割れる?」
「そう。私たちはこの世界にはふさわしくなくなった」
「どうして? 綺麗だから?」
「綺麗? 私が?」
晴夜は一瞬目を丸くした後におかしそうに笑う。
「違うよ。私が化物だからさ」
その時、強い風が吹いてたくさんの桜の花びらが舞い、私と晴夜の間を分け隔てた。私と晴夜が違うものだとでもいうように。
「化物?」
「ああ、そうだ。だからこの世界にはもう住めなくなってしまった。だから世界が完全に私を拒絶する前に、私が世界を拒絶するんだ」
「どこにいくの?」
「友人が引っ越し先を見つけてくれてね。今からみんなでそこに引っ越しをする」
「みんなで?」
「そう。私と同じように、この世界にいれなくなった者が複数いる。まとめて移住するんだ」
「私も一緒にいってもいい?」
咄嗟にそう告げると、晴夜は困ったように眉をひそめた。
「何故? 一緒に行くと、もうここには戻れなくなる」
何故。それは私がここに、この世界にいたくないからだ。
私は親に売られた。一度入れば抜けられないという花街に。そして受け入れ先の妓楼が決まる直前に、隙をついて逃げ出してきた。そんなことを訥々と語れば、晴夜は私の頭を優しくなでた。
「そうか。君は新地の子なんだね」
「新地?」
「ああ。神津新地だ。私もいっときそこにいた」
晴夜は透き通るように美しかった。この世のものじゃないように。そしてふと、呟いた。
「そうすると身寄りはないのか」
そして考え込むように腕を組んだ。
「けれども私たちが向かう先も苦界かもしれない。あっという間に死んでしまうかもしれないよ」
晴夜の囁く死という言葉は、酷く現実感がなかった。
「なのに行くの?」
「ああ。私たちは既にこの世界にはいられないから」
「いられないと、どうなるの?」
「さて、ぎゅうぎゅうに押し込められて押しつぶされて死んでしまうのかも」
「私も……」
縋るように述べても、晴夜はただ優しく微笑むのみだ。
「君は私たちほどこの世界に拒絶されていない」
「でも」
この世界に一体何の希望があるというの。
花街ではたいていの女は20半ばまで生きられない。そう聞く。桜の嵐はますます強くなり、既に晴夜を半ば覆い尽くし、私から奪おうとするばかりだった。だから私は晴夜に手を伸ばした。
その時、晴夜を覆うものが花びらだけではないことに気がついた。その花びらの隙間に、無数の小さな腕が現れて晴夜を掴もうとしていた。
化物。
私は思わずぎょっとして、身を離す。そうすれば晴夜は僅かに悲しそうに私と見た。
「私たちはこのようなものだ。君とは違う。あぁ、迎えがきた。もうお帰り。せっかく会ったのだからこれをあげよう。もしどうしても全てに耐えられなくなった時には、数回にわけて齧るといい。少しだけ、気が楽になる」
晴夜はぽきりと右手薬指を折り取り、私に手を伸ばす。
「今ならまだ、帰れるから。全部一度に食べちゃ、駄目だよ。それこそどこにも行けなくなってしまう」
混乱しながらおそるおそる、その美しい指を受け取った次の瞬間、世界はザワリとざわめき晴夜は完全に桜に覆われ、そして風が全てを吹きちらした後、晴夜の姿はすでになかった。
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