俺がスタバに通う理由

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俺がスタバに通う理由

 努力は報われると、成功者はよく言うが、それは果たしていつのことだろう。  一人用のテーブルの上に、注文した最安値のアイスコーヒーショートサイズを置き、その横で、タブレットを開いた。  タブレットが起動し、執筆用のワープロアプリが開くまでの間、アイスコーヒーを啜りながら、店内を目線だけで見回す。  午前七時過ぎの、開店直後のスターバックスは、ほとんどが通勤途中の成人か、通学時の大学生らしき若者が多い。  それもほとんどがテイクアウトで、店内で過ごす人間は、この時間帯まばらだ。店内で居座る人間は、品の良さそうなおばあさんか、パソコンを開いて仕事をしているサラリーマンかOLくらいだ。  小説家を目指して、小説を書いている人間は、この時間帯のスタバにはいないだろう。 「少し苦いな」  思いのほかコーヒーが苦かったため、シロップを取りに行く。確か店員さんは、今日はキリマンジャロですと言っていたな。正直なところ、コーヒー豆の違いは、俺には分からない。  カウンターでシロップを取り、ストローでかき混ぜる。俺のこだわりは苦すぎても、甘すぎてもいけない。 「おはようございます!今日は店内で過ごされますか?」  レジの方に目をやると、先ほど俺の会計をしてくれた大学生くらいの娘が、スーツ姿の男性に笑顔で応対している。  朝早くからご苦労様。こんな朝早くから、カフェで作業ができるのも、スタッフさんたちのおかげだ。心の中で礼を言いつつも、お目当ての女性(ひと)がいないことに少し落胆した。  俺がこんな朝早い時間帯に、スタバに来るのには訳がある。小説を家で書くより、ここに来た方が捗るという理由もある。  だが、俺が朝早くに来る理由は、ある人に会いたいがためであった。会いたいというと仲が良いようだが、ただあの人を一目見たいだけだ。 「今日は休みか」  カウンターに立っていないということは、休みか、別の時間帯の勤務なのかもしれない。心の中でため息をつきながら、キーボードに手を置いた。  俺は小説を書いている。書いているだけで、プロでもないし、出版もされていない。いつかは作家になるという、儚い希望と夢を掲げながら、こうしてダラダラと書いている。 「おはようございま~す」  細いがよく通る声が、耳に入った。声の方を振り返ると、スタッフルームからすらりとした女性が出てきた。心拍数が早まるのが分かった。  艶々とした黒髪のショートカットに、適度な細さに整えられた眉と、良い意味で女性らしからぬ切れ長の瞳は、クールさと美しさを印象づける。濃紺のスキニーと黒のシャツは、スレンダーな身体によく似合っており、何よりスタバの緑のエプロンによくマッチしている。  その典型的なショートカット美人な店員さんが、俺のお目当ての人だ。彼女は無駄のない手慣れた動きで、客の会計を済ませ、ドリンクを手渡していく。  綺麗だ。  恋愛など無縁で、女性との関りをほぼ諦めかけていた俺が見惚れるほど、その人は美しかった。  横目でその人を見つめていたら、ふと彼女がこちらの方を向いた。慌ててタブレットに向き直った。目が合ってしまったかも。 「何やってんだよ、俺」  誰にも聞こえない声で、ぽつりと呟いた。まるで、たちの悪いストーカーみたいじゃないか。  ただ単に店員と客が目が合っただけだ。自意識過剰過ぎるんだ。お前は。  自分を叱るように言い聞かせた。もう一度、カウンターを横目で見ると、常連さんであろうおばあさんと、その人が楽しそうに話している。 「この前ね、夫と姫路城の桜を見に行ったのよ」 「えー!そうなんですか。もう、満開でしたか?私、まだ見にいけてないんですよお」  おばあさんと話す彼女は本当に楽しそうで、接客を心から楽しんでいるのが分かる。黙っていればクールな印象を与える彼女だが、笑うと目元が垂れて、子供のように無邪気で可愛かった。  俺もあのおばあさんのように、気さくに話せればいいのになんて。老人のコミュ力の高さを、心底羨ましく思う。  俺があの娘と話した時といえば、レジでの会計を除けば一回、いや、あれを会話といっていいのか。
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