ドリップコーヒーは恋の味

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ドリップコーヒーは恋の味

 整備士の仕事を辞めた俺は、退職届を出したと同時に路頭に迷ったも同然だった。専門学校を出て、車の整備しかしてこなかった俺に、この先何ができるのだろう。  もう、整備士に戻るつもりはなかった。  だが、偶然拾ったスタバのカップ。そして、偶然出会ったあの人。スタバの一杯のコーヒーが、俺に何か道標を示してくれた気がした。  以前買った文芸誌に、小説の新人賞の募集要項が掲載されていたことを思い出した。まだ、時間はあるはずだ。  あの人がメッセージを書いてくれたカップを机に置き、その日から書き始めた。  小説は一度書いてみたいと思っていた。だが、書き始めて、想像以上に難しい世界だと実感した。自分の言葉で、自分の世界を表現する。  もし、俺の世界を完成させることができたら、自分の想いも口に出せる気がした。 「イオカさん。俺はあなたが好きです」  小説が完成するまで、自分の想いは封印し、完成した時には必ず告げる。自分の中で決めた。だから、俺はあの人と必要以上に話すことはしなかった。  不愛想な男だと思われたかもしれない。無意識に傷つけてしまったかもしれない。  そもそも、あなたは俺になんか興味ないのかもしれない。  それでもかまわない。この想いが報われなくても。 それでも、あなたが好きなんだ。   「違う……こうじゃない」  薄暗い部屋の中で一人呟いては、デリートキーで文字を消していく。物語は頭の中では、ほぼ完成している。でも、それをうまく言葉にできない。  喉を潤そうと水の入ったコップを口に付けたが、何も入ってこなかった。掴んだのは空のスタバのカップだ。  ふっと息を吹いて埃を払う。マジックでか書かれた、丁寧で可愛らしい筆記体。  Good luck. 「幸運が、ありますように」  俺自身にも。あの人にも。  大きく息を吸い。キーボードに指を乗せる。ピアノの演奏を始めるように、再び文字を打ち直す。
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