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 さくらってきらい。響きもきらいだし、ぼくの名前がさくら、ということも。  絵本やテレビの中に出てくる『さくら』は花や女の子ばかりだ。  男の子なのは、ぼくだけ。かっこよくなりたいのに、ひらひらでふわふわのあの名前で呼ばるんだよ? やんなっちゃう。  だから、春になるとゆううつ。さむい冬が終わってぽかぽかなのにね。  さくらなんて早く散っちゃえばいいのに。  ぽかぽかのやわらかい草の上を歩いていたら、桜並木にぶつかった。お気に入りの散歩道だけど、ここを通りすぎないと公園には行けない。  花弁ののじゅうたんを一枚一枚よけて歩くのはやっぱり難しくて、仕方なく引き返した。家に帰るのがもったいなくて店の扉をあける。 「いらっしゃい、かわいいお客さん」  なんでそんな風に呼ぶんだろう!  ぼくの目指すところはそれじゃないんだ。かわいいって言われても、これっぽっちもうれしくないやい。  挨拶をする気にならなくて、せまい店内をずんずん進んだ。  お気に入りの絵本コーナーは、ぼくのきらいなものばかりになっていた。紙の中におさまったひらひらでふわふわのものがいくつもある。  なんでこの国は桜が好きなんだろう!  さくらが大ッきらいな子もいるのに! 「本が好きなんだねぇ、また読んであげるよ」  後ろからおばあちゃんの声。  ぼくの名前を知らないからって、あんまりな仕打ちだと思うんだ!  春のお日様みたいにやさしくても、ぼくのきげんがなおるもんか。  ふてくされて、本の表紙をにらみつけていると店の扉があいた。  りっちゃんがぼくのところまで来て見下ろしてくる。 「さくら、またここに来てたの」  りっちゃんがうでの下に手を回し尻をかかえるから、ぼくは持ち上げられてしまった。こんなの、かっこわるい。  おばあちゃんはぼくの姿をまじまじと見て、ぽつりと言う。 「おまえ、メスだと思ってたら、オスだったのか」  なんだって! ぼくを女の子とまちがってたの!  つい、叫んだらりっちゃんにしかられた。 「もう、さくら、暴れないで」 「元気だねぇ」  こういうの知ってる。ぬかにくぎだ。おばあちゃんはぼくが何と言おうとこたえていない。  りっちゃんのあたたかい手にめんじて仕方なく黙ることにした。ずっとさわぐなんてみっともないこと、ぼくが許せないからね。  よしよしと首元をかいておだてるりっちゃんが憎らしい。その手を受けてさわいでたら、ぼくが子どもみたいじゃないか。  りっちゃんはぼくの頭を撫でながら、おばあちゃんにたずねる。 「おばあちゃん、なんでメスだと思ったの」 「ほら、耳がかけてるだろ? 他の子みたいに不妊手術した子だと思って」 「このさくら耳、意味あるんだ」 「でも、この子はオスだから自分でどこかにひっかけたんだろう」 「さくら、おっちょこちょいだもんねぇ」  まぁた、ぼくの悪口言ってる!  カラスと戦ったくんしょうだって、何回言ってもわかってくれないんだから。丸い耳がちゃんと二つずつついてるのに、ぼくのちぐはぐな耳より聞こえないってどうなんだろう。 「さくら、花見に行こっか」 「またおいで」  かわるがわるに頭を撫でられて、押し黙った。ふるふる震えるひげをピンとのばしてごまかす。二人の手は大きくてあたたかでやさしいから好きだけど、はずかしくて上手く言えないんだ。  頭上からお日様の光と一緒に笑い声がこぼれてくる。二人とも笑うから、心がふわりと浮かんだ。  ぼくの心は小さいからね。特別、軽いんだ。あれ、使い方あってる? 「変な顔してどうしたの、さくら」  さくらの花びらよりは大きいと思うけどね。
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