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1ページ目:昔の話
突然だけど、昔の話をしよう。
あるところに元気な女の子が生まれたんだ。
女の子はすくすくと育っていった。
…でも、その女の子はみんなと少し違ったんだ。
みんながお砂遊びをしていても絵を描いたり、
みんながお花集めをしていても虫を捕まえては引きちぎって笑ったり。
それだけ聞くとサイコパス、とかって思われちゃうかもだけど(笑)
とにかく、その女の子は“普通”ではなかったんだよね。
そのことに女の子自身が薄々気がつくほどだった。
当然女の子は園内で遠ざけられたり、保育園の先生から
問題児扱いされたり病院へ促されたりしたんだ。
結局、女の子はADHDっていう発達障害を持っていた。
母子家庭の女手一つで女の子とその二人の姉を育てている母親は
深く深く後悔したし最初は信じたくなかったんだって。
昔はADHD、なんて障害はなかったからね。
でも、生まれて持ってきたものは仕方ない。
全て神様からのギフトなんだからきっと何か意味があると思って
女の子の母親は毎晩毎晩夜遅くの深夜1時まで仕事をしては
山を越えて家に帰ってくる。そんな生活を送っていた。
当の本人はどうしていたかというと、ADHD?なにそれ。って感じで
呑気にアニメを見ていたんだよ。(笑)
彼女はきっとアニメを見ることや家にいた動物たちを触ることで
毎日仕事仕事、姉たちは勉強勉強、
な寂しい現実を紛らわそうとしていたんだね。
小さい子なりに小さな頭でたくさんたくさん考えて
「我慢」していたんだ。
本当はもっと他の子みたいに一緒にお出かけしたい、
本なんて読んでもらったことない、
冷凍食品じゃなくてもっと一緒に暖かいお母さんの手作りご飯が食べたい。
小さい子なんだからきっともっとあったと思う。
けど決して女の子は母親が家を出る時、
姉達が真剣に机に向かっている時、
「寂しい」とは言わなかった。
それは多分女の子が一番気づいていたからなんだ。
自分は恵まれたひとりぼっちなんだ、ってことにね。
泣いてる姿なんて見せなかったし、おねしょなんかもしたことがない
その女の子にとってそれが普通だった。
冷たいご飯も、自分で買いに行くのも、
土曜日はとっても楽しみで唯一大好きなお母さんとゆっくりできる日なのも
日曜日はお母さんを休ませてあげるために
お手伝いをたくさんする日だってことも。
その少しのズレ、がより一層女の子をひとりぼっちにさせていったんだ。
ある時、女の子は小学生になって真っ赤なランドセルを背負って
学校に行ったんだ。
…でも、やっぱり案の定トラブルが起こってしまった。
先生からも注視されるようになってしまってね。
その時、相手に謝るお母さんを見て女の子は思ったんだって。
「あぁ、普通じゃないことは特別でも何でもなくて、悪いことなんだ。」
って。…でも、そんな時すら女の子は泣かなかった。
自分は恵まれた一人ぼっちなんだって呪いが、泣くことを許さなかったんだ。
結果、女の子は小学3年生と若くして死んでしまった。
…そう、教室の窓から飛び降りてね。
いじめがあったわけでも、誰かのせいだと言うわけでもなくて
少しのズレと我慢が命を奪う凶器となったんだ。
お母さんのためにやった行いが、
いつしか自分の足枷になってしまった女の子は
その重い足を一生懸命に引き摺って歩いて、飛んだのさ。
つまりね、僕が言いたいことは
「我慢」をみくびっちゃいけないってこと。
よく言葉が狂気となるって歌われるように、例え「大好き」な思いでも
命を奪ってしまうようなトリガーになり得るってことなんだよ。
これくらい、とかみんながそうだから、とか言って
一人分しかないボートに沢山の荷物を積んで行ったら当然沈んで
漕ぐスペースすら無くなってしまう。
そうなったらどう変動するかどう流れるかわからない命の時間は
あっという間に過ぎ去って何もできないまま終わりを迎えるんだ。
愛に包まれたからといって、幸せだとは限らないからね。
名前も顔も知らないけどここまで読んでくれた君へ
もう死んでる僕が言ってもあんまり説得力がないけれど
この世界は君や僕が思ってる以上に広いから、
たっくさんの好きなものを見つけてほしい。
好きなものを辿っていけばきっと自分が見つかる。
自分が見つかれば、自分を受け入れることができたなら、
我慢なんてする必要なくなるからさ。
だから「我慢」の回数限度を超えちゃダメだよ!
勿論必要になる時もあるし
自分を捨てなきゃいけない時もやってくるけど、
いつでも拾い直せるようにしておくんだよ!
ひとりぼっちの僕から君へ、
世界一幸せな遺書の1ページ目だ。
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