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「お疲れ様でした」
「うん。今日もありがとう」
いつもなら病院へ向かうが、現場に向かうことが多くなると毎日は流石に厳しかった。
時間も間に合わない。
普段なら土曜日も休みだが、現場入りすると土曜日まで仕事だ。
月曜日からまた通常通りになるが、今度は五木さんの現場監督としての仕事を覚えさせるため、次からは2人で現場入りする。
月曜日には、またいつもみたいに笑い合える関係になれたらいい。
でも、今まで通りとはいかないだろうし、彼も切り替えて前に進んで行かなきゃならない。
私は恋愛なんてしてる場合じゃないはずだ。
そう自分に言い聞かせていることには目を瞑って、改札前で彼と別れた。
再び階段を昇り、来た道を戻って行く彼の後ろ姿をいつも見送るが、今日はすぐに踵を返した。
引き止めてしまいそうで怖くて。
いつも歩く鋪装されたタイル張りの歩道。
こんな色していたのかと初めて気がついた気がする。
いつも、空を眺めるように帰っていた道。
久々に地面ばかり見て、視界が歪んでいく。
私が責められるだけなら良い。
けど、きっと会社での立場が悪くなるのは、彼も道連れだ。
必死に自分の中で彼と距離を取ることばかり考えてる。
そうでなければ、またあの時の繰り返し。
仕事が楽しくて仕方なかったあの日、まるで夢を奪われたような心地だった。
【出向】の文字。
表向きではそう表示されたが、実質上【左遷】だった。
現実味がなかった。
彼のキャリアのためにも、私が邪魔しちゃいけない。
五木さんのお姉さんと約束もしたのだ。
本質を見失わないように、やっぱりルールは厳密に、厳粛にしないと。
涙なんて流す資格なんてない。
溢れそうになる涙が流れないように、空を見上げて帰った。
それから土曜日まで今までと変わりなく過ごした。
いつものように、事故のないように、業務を遂行していく。私以外でも出来る仕事を淡々と、コツコツと。
「千智さんの容態ですが、季節的にも体力が落ちてきているようです。
千智さんの体力がこのまま回復しないようであれば、千智さんは」
診察室という閉ざされた空間に私と担当医と2人。
医師の話は、海の中で聴いているみたいだった。
余命宣告がまた短くなった。
あぁ、ここで気を落とすことは出来ない。
だって、私はおばあちゃんの支えなのだから。
しっかりしないと。
笑顔でいてあげないと。
病棟の妖精が置いて行った植木鉢たちはいつのまにか回収されていて、中庭は向日葵が空を仰いでいた。
ぼんやりと眺めるその先に、私の居場所が無いことに気がついた。
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