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揺られる電車の中、彼の胸元に収まってしまうほどに満員。
「すみません、、、少しだけ我慢してて下さい」
彼は申し訳なさそうに、眉根を下げて視線を逸らした。
落ち着く香りに抱かれているみたい。
ほんのり蒸し暑い車内だけれど、シャツ越しに伝わってくる彼の体温。
額が彼の胸元に当たると、彼の心拍音が伝わってくる。
気まずさと緊張感と罪悪感、羞恥心。
自分の心臓と同じくらいの速さで脈を打っていることに気が付いて、何故かこのささやかな時間が幸福にさえ思えた。
伝わってくる体温と心音、彼の香りは、今は私だけの時間。
数駅の間、抱きしめられているような不思議な時間を何度も味わってきているのに、彼を意識したら、この時間は大切なものだったのだと自覚してしまった。
来週からは、やめてもらわなきゃ。
彼にとっても負担だろうし、振られた相手の世話など御免だろう。
彼は優しいから、きっと来週も来るだろうし、やんわり断っても来るの一点張りかもしれない。
キツく言わなきゃいけないのが、心苦しい。
ガタンゴトンと定期的に揺れる車内。
肉詰め状態のこの状況下で、額に当たる彼の胸に、さり気なく頬を擦り寄せた。
気付かれませんように。
そう願いながら、彼のぬくもりを感じていたくて。
子供みたいに神様にお願いしていた。
『“この先、急カーブがあります。激しい揺れにお気を付け下さい”』
アナウンスが流れたのをやんわり耳にしながら、自分の心臓の音が耳にまで響いていた。
煩いくらいに、ドクンドクンと奏でる。
車体が傾くのを感じて、カーブに入ったのだと悟る。
ふと、足元に彼の革靴が一歩前に踏み出され、さっきよりも距離が近くなった。
完全に彼の胸の中に収まって、緊張する。
カーブが終わったらまた少し離れると思うと名残惜しく感じた。
『“次は〜屛風。屛風駅です。”』
車内アナウンスが流れる頃には、カーブは過ぎ去る。
そう思っていたけれど、距離はそのままだった。
お互いに、その時間が終わらなければいいのにと、願っているみたいだった。
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