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病棟妖精の正体
「アタシにも病棟の妖精が訪れたのよ」
気温が上がり始めた7月上旬。
梅雨入りしてから早2週間。
傘を持ち、おばあちゃんが大好きな水羊羹を持って訪れた火曜の夕方。
何故かここ最近、後輩の五木さんも病院に来るようになった。
藍色の髪は艶々。毛先は少し癖があって、いつも眉は弧に描いていて、大きく丸い瞳が特徴の可愛らしい青年。
憎まれ口も叩く新人社員、絶賛教育中です。
「病棟の妖精ってなんですか?」
きょとーんとした顔で愛らしい笑顔でそう聞き返した五木さんに、おばあちゃんは乙女のように顔の前で拳を使って瞳を輝かせた。
「アタシね、この時期に咲く紫陽花がすごく好きでねぇ。
憂里ちゃんや看護師さんにお願いしたんだけど、『紫陽花は花言葉で良い意味を持たなくて見舞いとしては不向きだから持ち込みは不可能です』って言われちゃったのよ」
そう、おばあちゃんの自宅にはいろんな種類の紫陽花を育てているくらいに好きで、この時期になると新しい紫陽花を植えるのだ。
ただ、紫陽花には『死』を連想させることがあることから、病院には持って行くのはマナー違反とされている。
いつか病棟にある花壇を見た患者が不吉だ!と騒いだことがあって以来、この病院では花の種類を細かくチェックされるようになった。
「でもこの病棟には小さな願い事を叶えてくれる妖精がいるんですって」
白い壁、真っ白なシーツ、淡いオレンジ色のカーテンが仕切られた病室で、おばあちゃんは嬉しそうに皺を作って微笑んだ。
五木さんはそれを楽しそうにうんうんと頷いて聴いてくれている。
「昨日、アタシにその“紫陽花”が届いたのよ〜!」
嬉々としてそう言うが、病室のどこにも紫陽花の花はない。
あるのは窓際に置かれたデイジーと、今日新たに持ってきた夏の知らせである小さな向日葵を飾った花瓶だ。
首を傾げると、おばあちゃんはふふふと楽しそうに微笑む。
「今は見えないのよ」
「今は?」
そうなの。と楽しそうに笑うから、もったいぶらずに話してくれたらいいのに!とおばあちゃんに言いたかったが、後輩がいる手前、そんな自分を曝け出すのは恥ずかしくて視線で訴えるだけに留める。
「妖精さんは紫陽花を届けてくれた(?)わけだけど、その妖精さんは他には何をしてくれるの?」
しかし、すぐに五木さんが私を見つめてきたので、誤魔化すためにすぐ視線を逸らした。
空はもう薄暗くなり、そろそろカーテンを閉めた方がいいかもと思っていると、五木さんが気が付いて閉めてくれた。
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