0人が本棚に入れています
本棚に追加
「なんですか……これ……」
亞輝斗から亞輝那、雷月、獅子丸、そして安曇と交代で運転し、予定より少し早めに辿り着いたものの、車から降りた途端、唖然と安曇が口を開く。
早朝にも関わらず、行方不明になった十河を探すため、既に山狩りを開始しているのか、周囲はやや騒然としていた。
しかし、安曇のリアクションの原因は、そこではない。
「なんだろ……変に反響して、十河の気配が増幅してるような、ハウリングしてるような……どっちにしろ、正確な位置がわかりゃぁしない」
亞輝那も、妙な気配に眉間に皺を寄せた。
そんな中、雷月が目を細め、隣の獅子丸に声をかける。
「獅子丸。さっき車で言っていた、楊貴妃の伝説に関する詳しい詳細を、皆に教えてやってくれ」
慌てる様子もなく冷静な雷月に、獅子丸は一瞬「今ですか?」と眉を顰め不思議そうな顔をしたが、頷く雷月に「わかりました」と口を開く。
「話を要約するなら、安史の乱を生き延びた楊貴妃様が、お付きの侍女と一緒にこの地に流れ着かれましたものの、村人方の看病むなしく、弱ってそのまま亡くなられた……と」
雷月は表情を変えることなく、獅子丸の言葉に耳を傾けた。
「けれど正直申しまして……どうして、ただの村人と唐の後宮で暮らしてきた侍女の言葉が通じたのか等、疑念が残る部分もありますので、あくまでも「伝承」として受け止めるべきかと。全く別の内容ですが、楊貴妃様の伝承は、熊本の方にもありますしね」
「ライ……でも何か、気になることがあるんでしょう?」
不安そうな表情で、安曇が雷月を見上げた。先程の亞輝斗もそうだが、彼らは人の感情に敏感で、それでいて、良い意味でおせっかいだ。
あぁ、少々一人で気負いすぎていた。と自覚し、思いなおした雷月は、安曇の言葉に甘えることにした。
「こんな話がある。乱が落ち着き、長安に帰った玄宗が、楊貴妃の墓を動かそうと、宦官に楊貴妃の墓を確認させたところ、中は遺体を包んでいた布と香袋のみが残されており、遺体は忽然と消えていた……」
「それって……表向きは死んだことにして、実際は本当に逃げて、山口漂着したって事かしら?」
亞輝那の言葉に、雷月は静かに首を横に振る。
「彼女は貴妃になる前に、便宜上とはいえ、太真という名の道士だった。また、彼女の侍女には張雲容という名の後に仙女となった者がいたと言われている」
そして、明確に創作とされてはいるが、楊貴妃の死後五十年ほどして作られた、長恨歌と長恨歌伝。
皇帝玄宗の命令を受けたある道士が、楊貴妃の魂を探し、海に囲まれた仙人の住まう山へと向かい、彼女と出会うという物語。
荒唐無稽な話ではあるのだが、火のない所に煙は立たない。
「蓬莱、方丈、瀛州……後の時代に大陸にも、同じ地名ができたようだが……古来、彼の国の定義する東方三神山は、日本だ」
「と、いうことは……ライは、今回の黒幕が仙人になった楊貴妃だって、考えてるワケだね」
納得する安曇に、「いいや」と、あっさり雷月は首を横に振った。
思わず安曇は、これまでの話の流れは一体何だったのかと、前のめりにずっこける。
「事は、そう単純な話じゃない。もっとも、楊貴妃がどこかで絡んでいる可能性も、決して零とは言い切れないけれど」
雷月は目を細め、左手を前に伸ばした。
長い袖口から覗く手が淡く輝いて、人間とは違う、刺々しい形状へ変化する。
「安曇、オレは、なんだ?」
「何って、五指の……あッ!」
安曇は息を飲んだ。
秩序の安定を持った皇帝を選ぶ、五指の龍──。
「もしかして……居たの? 安史の乱の混乱期に!」
「……ああ」
雷月は肯定したが、彼の表情が少し曇る。
しかし、首を横に振って、雷月は続けた。
「楊貴妃と五指の龍に接点はない。彼女が十河に執着する動機もない……ただし」
獅子丸の言っていた、海の向こうからの来訪者。
そう、海を超えて漂着したのは、楊貴妃一人ではない。
「姜若溪。歴史に名を残さなかった、楊貴妃に仕えるもう一人の仙女。彼女は泰然の……五指の龍の、最後の金龍の……恋人だったんだ……」
最初のコメントを投稿しよう!