何日君再来

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「いょっしゃぁッ! もういっちょッ!」  景気の良い亞輝斗の声と同時、パチパチドカーンッ! と、雷の爆ぜる爆音と、パリーンッという甲高い音が周囲に響き、結界が破られる。  元来、厄災()の侵入を防ぐための結界を、魔に属するモノ()が正当な手順を踏むことなく、物理的に(力技で)破壊して侵入するとか出鱈目(デタラメ)にも程がある。しかし、当の亞輝斗(本人)も楽しそうだし、何だかもう、どうでもいいや──と、呆気にとられながらも、三人は後ろに続いた。  その、ドカーンッ! パリーンッ! を幾度か繰り返し、獣道も無い山の斜面を登った後──。 「見つけたッ!」 「十河!」  一番前を行く亞輝斗の声にふと顔を上げ、十河の姿を見つけるなり、雷月が叫ぶ。  それは、ある意味、異様な光景だった。  ぐったりと横たわる十河。しかし、その肉体(からだ)の下半分以上は龍のように長く伸びて、金の鱗がぼんやりと淡く輝く。  また、その大きさは現時点で既に雷月の龍形態よりさらに大きく、十メートルを軽く超えていた。  そんな意識の無い十河を、頬擦りするように、一人の女性が愛おしそうに抱きしめていた。  しかし──。 「僵尸(キョンシー)……いえ、動く死体(ゾンビ)ですか」 「ゾン……いや、お前の言いたいことは、そりゃ解るけど……たぶん尸解仙(しかいせん)ってヤツ……かなぁ?」  サングラスをクイっとあげながら空気を読むことなく淡々と口を開く獅子丸に、一瞬言葉を詰まらせて亞輝斗が訂正した。  尸解仙とは仙人の一種で、肉体の死を経て、仙人となった者である。余談ではあるが前述の楊貴妃も、(くだん)の香袋を肉体の代わり()(現世)に残し、尸解仙となった──と言われている。  そこに至る細やかな経緯や状況は尸解仙とは異なるものの、遥か昔、人間から一度死んで鬼となった亞輝斗としては、ゾンビとは一緒にされたくない気分だ。  亞輝斗は内心ため息を吐きながら、十河に寄り添う女──若溪(ルォシー)に、声をかけた。 「あんだけ派手に結界破って入ってきたんだから、こっちの用件は解ってるよな。……そいつはお前さんの、想い人じゃない。返してくれ」  痩せた身体に、美白を通り越して青白い肌──見える範囲に明確に腐ったようなところは無いが、死臭というか、どう見ても()の気配が纏わりついた女。  若溪はキッと、鋭い視線を四人に向ける。 「違うものか! こんなにも美しい黄金の龍は、あのお方……泰然様の他にはおられまい!」  あぁ、泰然様……と、意識の無い十河に、若溪は寄り掛かる。 「泰然……本当に……」 「ライ?」  金の鱗を前に目を細める雷月だったが、亞輝斗に声をかけられハッと我に返ったように、雷月は自分で両頬を叩き、首を横に振った。  ──うん、しっかりしろ。自分は、江藤雷月。オレは──()の自分は、かつて(ロン)泰然(タイラン)と接した──泰然を心から慕っていた、銀の龍(泰然の弟)ではない。  雷月はしっかり前を見据えて、一歩ずつ、若溪に近づいた。 「……たしかに、五指の龍(オレたち)は、過去の同種の龍の記憶を継承している。十河が金龍なら、泰然の記憶も十河の()に眠っているだろう」  でも──だから──。 「だからこそ、泰然を起こすな(・・・・)!」  雷月の言葉と共に、俗世と隔絶された結界の中に、ぶわりと一瞬、強風が荒れ狂う。 「うわッ!」 「きゃッ!」  至近距離に居た小柄な亞輝斗が勢いよく吹き飛ばされて、獅子丸にぶつかった。後ろで亞輝那もスカートを押さえながら、小さく悲鳴をあげた。  風の中心から大きな銀色の龍が飛び出して、若溪に向かって飛びかかる。  が。  不意に金色の巨大な尾が動いて、雷月を弾き飛ばした。 「十河!」  背中をしこたま太い幹にぶつけて、呻きながら雷月は声を上げる。  その声に反応してか、うっすらと、十河の目が開かれた。  ただし。  潤むその目の色は、元の十河の色()ではなく、赤。それも亞輝斗のような鮮やかな真紅ではなく、深く、濃く、例えるなら乾きかけた血のような、どす黒い赤だった。 「……」 「泰然様ッ!」  微かに小さく口を動かす十河に、嬉しそうに若溪が叫んで手を伸ばす。  ──しかし。  伸ばされた彼女の手を、十河が握ることはなく。 「な……」  若溪の細い体を、龍の左腕が、軽々と貫いた。 (指が、三本……?)  若溪の背中から突き出た鋭い爪の数を亞輝斗が訝しむが、直感的に亞輝斗は妹に叫んだ。 「亞輝那! 結界の上書き(・・・)、今すぐ頼む!」 「まーかせて!」  深い山の中とはいえ、外からこの様子が見えないよう、また、荒ぶる十河の能力(ちから)が外に漏れ出ないように、亞輝那はボロボロに崩れかけた若溪(仙女)の結界を、補強するように上から別の結界を被せる。  それとほぼ同時、不老不死(仙人)のはずの若溪の肉体がザラザラと砂に還り、地面が小刻みに震えはじめた。  十河の肉体が、完全に龍のそれとなる。しかし、元来爬虫類のように縦に伸びている瞳孔が、完全に開き切って、まるで意思の読み取れない巨大な魚の目のように爛々と輝き、金色の巨大な身体から、黒い瘴気が噴き出した。  あぁ、これは──めちゃくちゃ美味(うま)そうじゃないか──。と、亞輝斗は思わず唾をごくりと呑み込む。  しかし今はそれどころではない、喰っちゃダメだと、他者の感情を味覚で判断してしまう鬼の本能を、頭をぶんぶんと振って思考の中から追い出した。  一方、雷月は何度も十河の名を叫ぶ。しかし、当の金龍(十河)は咆哮一つあげることなく、静かに──ただ静かに──何も認識しようとせず、何も捉えようとしない、無機質で爛々と輝く赤黒い瞳で、そこに佇んでいた。  相反するかのように、瘴気と小刻みな地震だけが、徐々に強くなってゆく。 「かつて……(ロン)泰然(タイラン)は、選んだ(・・・)んだ」  何? 訝しむ亞輝斗に、唐突に雷月は淡々と口にした。  否、その銀の龍の表情は、苦悶に歪み、目の縁から細い雫が流れた。 「歴史は、勝者の物だ。(ヤン)国忠(グゥォヂョン)は、歴史に語られる、暗愚な人物ではなかった……」  楊国忠は、当時の宰相にて楊貴妃の又従兄。  有能ではあったものの、素行に問題のある人物であったとされ、皇帝による楊貴妃の寵愛に便乗することによって宰相となるが、安禄山と対立の末『安史の乱』の原因となり、『馬嵬駅の悲劇』に於いて、楊貴妃とともに、処刑された人物──と、されている。  しかし「それは違う」と、雷月は言った。 「堕落の末、王としての資質に欠けた玄宗に代わり、泰然(金龍)は楊国忠を『王』に選んだ。けれど、どこかでその事実を聞き付けた皇太子の李璵が、先手を打って、国忠と一緒に泰然の首を落とした」  そして彼らの死後、楊国忠は貶められ、龍泰然は存在を抹消された。 『馬嵬駅の悲劇』の後──『安史の乱』自体はすぐには鎮まらず、その混乱を収めるためとはいえ皇太子の李璵を王として選んだのは、雷月と同一存在である銀龍だ。その時の()が、雷月の中で、泰然の命と名誉を守れなかった自責と後悔の念とともに、雷月に警鐘を鳴らす。 「天命に従って選んだ王を殺され、自身の首をも刎ねられて……泰然を最後に千三百年以上、五指の龍の一族に土を司る()龍は誕生していない」  雷月はその長い胴で金の龍に絡みついた。 「何故なら、龍として完全に目覚めきる前に、自らの心臓を握りつぶして、命を絶っているのだから……」  身動きがとれないよう──主に両腕を塞ぐために相手を締め付けるが、そもそも相手(金龍)の方が大きいため、あまり長時間は持たないだろう。  大きく暴れる気配はないが、地面の揺れは強くなり、濃い瘴気に雷月が咳き込んだ。 「なぁるほど。コレは、人間に対する、憤怒と憎悪と拒絶の味……ってところか」  人間に首を落とされたのは亞輝斗も一緒で──無意識に、亞輝斗は自分の首の後ろに触れた。  黒い瘴気から臭い出る『祟る』なんて言葉が生易く軽々しい程の、そんな言葉では言い表せない強烈な感情。  それは、かつて(・・・)の自分も抱いていたモノ(・・)。  しかし──同時に何か、亞輝斗は違和感を感じた。  それはまるで、喉の奥にひっかかった小骨のような──。 (亞輝斗! 代わって! 今すぐ!)  不意に安曇の声が、亞輝斗の頭の中に響いた。 (なんだよ安曇。目星、ついてるのか?) (……うん、多分ね。おおよそは)  そう放つ言葉に反して、きっぱり断言する安曇の口調に、亞輝斗はニヤリと笑う。 (そういうことなら、よっしゃ。お前に任せた)  亞輝斗が赤い目を瞑る。鮮やかに輝く金の髪は、根元から次第に暗い色に変わった。  そして彼が再び目を開いたとき、同じ顔ではあるが、先ほどまでとは違い、柔和で穏やかな表情が、そこにある。  金の龍と、それに絡みつく銀の龍を見上げ、安曇は声を張り上げて、金の龍に叫ぶ。 「(ロン)泰然(タイラン)!」  しかし、矮小な人間の姿など、ハナから目に入っていないのか──それとも、単純計算で千三百年経ち、かつての自分の名すら、忘れているのか──金の龍の焦点は、安曇を捕らえることはない。  それでも、安曇は言葉を続けた。 「この御世において、貴方は、もう王を選ぶ必要はないんだ」  否、正しくは、現在の世は龍が選んだ王を必要とする世界ではないということだ。  微かに、金の龍が反応した。開き切って丸かった瞳孔が、ほんの僅かではあるが楕円になり、小刻みに揺れていた地面が、一瞬、突き上げるように強く揺れる。  安曇はそっと、左手の三本の爪のうちの一本に触れた。雷月に締め付けられて身動きがとれないとはいえ、払おうと思えば可能だっただろうが、金龍は大人しく、安曇を視認(・・)した。 「貴方のその根底にあるのは、自分を殺した人間に対する怒り以上に、選んだ王を守れなかった、自分に対する嫌悪感。……そうでしょう?」  故に、本来五本あるはずのその指は、全ての手足で三本にまで欠け、命を奪うほどの怒りの矛先は、人間(他者)ではなく、金龍(自分)へと向いた。  あぁ、大丈夫。触れた爪から伝わる龍の感情に、安曇は安堵し、にっこりと金龍に笑いかけた。  祟り神と呼ばれるモノの中で一番厄介なのは、無感動──長い年月の中で、主観的な喜怒哀楽全て(・・)の感情を喪失させた状態で、害悪のみを振り撒くモノたちだ。  しかし、それに比べてこの龍は、外的反応の少ない見た目や、祟る年月に比較して、まだ(・・)、感情豊かで、救いようがある(・・・・・・・)。  なにより──その身体は、十河の──親友の物だ。  不意に、ポツポツと雨が降り出した。振り返ると、「上手くやりなさいな」とでも言いたげな亞輝那が、ニンマリと笑っている。  亞輝那──妙童鬼の操る水は、『理水』または『命の水』と言われ、回復や浄化の力を持つ。金龍の身体から噴き出す瘴気が、水を受けて、一層濃くなった。 「雷月。無理しないで、離れていいよ」  濃い瘴気に当てられ荒い息の雷月に、「大丈夫だから」と、安曇は目配せする。  ずるずると長く重たい身体を、言葉通り引きずって雷月が離れた。  元々動きの悪い金龍は、雷月が離れても暴れることはなかったが、次第にゴホゴホと咳き込みだして、黒い霧のような塊を吐き出す。  安曇はそれに手を伸ばしてすくい、口に含んだ。  大切な人を守れなかった絶望と、正しい輪廻に還す為とはいえ、手にかけてしまった恋人への悔恨の念と、金龍(自分)に対する、明確なる殺意と──。  それらが、ドロドロに混ざり合った、ぐちゃぐちゃな感情(怨念)。 「龍泰然……」  安曇は金龍の大きな頭を、抱きしめるように抱えた。 「どうか、全て(・・)吐き出して(・・・・・)」  貴方の怨念は、自分と亞輝斗(オレたち)が、全て、食べて(・・・)あげるから(・・・・・)──。
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