最終話 ミルヴァの願い

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最終話 ミルヴァの願い

「マイヤー王子、お客様です」 「やあ、シン。お客様とはその人かい?」  男性はそう言って私に視線を向けてきた。  その男性の姿を見てミルヴァはハッとしてしまった。  マイヤー王子の雰囲気が噂で聞いていたものと全然違うのだ。背が高く、栗色の髪が緩やかに流れ、整った顔から見て取れる表情は思いの外やわらかいものだった。とても悪魔に魂を売ってしまった残忍な人のようには見えなかった。 「優しくて女性に人気がある」というシンの言葉はあながち嘘ではなさそうに思えた。けれど、人を見た目で判断してはいけないとはよく言ったもので、マイヤー王子にも裏の顔があって、こんな見た目でも噂通り平気で人びとを処刑していく人物なのかもしれない。  そう考えて立ち尽くしているミルヴァにマイヤー王子が声をかけてきた。 「やあ、もしかして君はラインバルト王国から来てくれたミルヴァさんかい?」 「はい」  ミルヴァは自分の名前をさん付けで呼ぶマイヤー王子に疑問を投げかけた。 「あなたは本物のマイヤー王子なのですか?」 「そうですよ。本物です。予想外でしたか?」 「はい。お噂とはかなり違うようにお見受けします」 「ほう、僕はどのように噂されていたのかい?」  まさか悪魔に魂を売ったひどい人物だとは言えず、濁して答えた。 「もう少し恐そうなお方だと聞いておりましたが、とてもそんな風には見えません」 「ハハハ、それは褒め言葉と受け取っていいのかな」  マイヤー王子は優しそうな笑顔を向けてこう言った。 「さあ、ミルヴァさん、長旅でお疲れになったでしょう。中でゆっくりと休んでください」  確かにミルヴァは疲れていた。不安いっぱいになりながら知らない土地を歩いてきたことから、心も体もヘトヘトの状態だったのだ。なので彼女は、王子の言われるがままにお城の中、いや家の中へと入っていったのだった。  意外なことにこの家で暮らしているのはマイヤー王子、一人っきりだった。家族も従者も料理人もいなかった。なぜなのか聞きづらい質問だったが、謎のまま置いておくことができず、素直に聞いてみた。  王子の説明はこうだった。  国王と王妃はマイヤー王子が幼い頃に亡くなってしまい、王位を継ぐことになったが、実際にはまだ若かったため、名目上は王子のままでいること。自分が王位を継いだ際に、民衆の税の負担を減らすため、巨額な維持費を必要とするお城は取り壊し、ここの小さな家を城としたこと。自分ひとりが暮らす家に、わざわざ従者を置く必要もないことから、家来は誰もいないということ。  何もかもがミルヴァにとってはびっくりするような話だった。ということは、マイヤー王子は、名ばかりの王子で、実際には普通の民衆と同じだというのだろうか。 「では、あなたはいったいここでどうやって暮らしているのですか?」 「実は、私は王子でありながら魔法使いでもあるのです。この地、ミズリー国にはほとんど魔法使いがおりません。なので、私はこの国の結界を張る役割をになっているのです。私の聖なる力では、まともな結界を作ることはできないのですが、不完全なりにもなんとかやっている現状です」  結界を張る役割!  ミルヴァにはピンと来るものがあった。 (だから私はこの国に呼ばれたのだ。結界を張る仕事を手伝うために私はここに呼ばれたのだ。けれど私の力はもうほとんどなくなってしまって……)  そんな重要なことを隠しておいてもいずれは分かることだ。そう思ったミルヴァは、正直に述べた。 「私は確かにラインバルトで結界を張っていましたが、今はその能力もほとんど失ってしまった役立たずの魔法使いです」 「ええ、聞いております」 「でしたら、なぜ私をこの国に?」 「私も魔法使いの端くれ。ラインバルトのような巨大な国の結界を張る仕事がどれほど大変かはよく分かっております。その仕事をほぼあなた一人の力で行っていたと聞いています。だったら聖なる力が尽きてしまうのは当然のことです。いくら突出した力を持っているとは言え、お一人で続けるには無理がありすぎたのです」 「そうかもしれません。でも、こうなってしまったら、ここでも私はただの役立たずですよ」 「そんなことありません」  マイヤー王子は優しく笑った。ミルヴァはその笑顔を見ると、彼の噂を一時でも信じてしまった自分を恥じた。 「ミルヴァさんは白魔法が使える。その白魔法は民衆の大きな救いになります。現にここに来る時に、シンを救ってくれましたからね。もちろんそれが使えなかったとしても、あなたの存在価値がなくなるなんてことはないのですが」  確かに白魔法ならまだ使える。全ての魔法使いが白魔法を使えるものではない。白魔道士になるには、努力だけではどうにもならない持って生まれた才能が必要だったからだ。ミルヴァはこの才能も亡くなった母から受け継いでいたのだ。 「それだけで私はここに置いていただけるのですか?」 「もちろん。ただ、君が嫌なら無理にここにいてもらう訳にもいかないが、できればこの国の力になってほしい」  ラインバルト王国にいてもミルヴァの居場所はもうなかった。聖なる力が尽きてしまったミルヴァは、簡単に皆の前で婚約破棄され晒し者にされてしまったのだから。  この国で暮らそう。ミルヴァはそう決心した。  それからというもの、ミルヴァはこの小さな小さなお城で、マイヤー王子との二人暮らしの生活が始まった。  若い男女が同じ屋根の下で暮らすことになったが、マイヤーはあくまでも紳士だった。王子が私のことを好いてくれているのは日頃の態度を見て感じ取れたが、彼は一切私に手を出してはこなかった。部屋は別々で、夜になると全く顔を合わさないで済むような配慮がなされていたのだ。  そんな暮らしが三ヶ月くらい続いた頃、私にある変化が起こった。  今まで枯れ果ててしまっていたはずの「聖なる力」がまた体から溢れ出してきたのだ。どうしてこんなことが起こったのかはわからない。この地での暮らしは、私にとって以前とは比べ物にならないほど快適なものだった。そして、これほど心も体も休まる生活を続けてこられたのも初めての経験だった。その暮らしが幸いしたのかもしれない。以前と同じように、いや、もしかしたら昔以上に自分の体の中に「聖なる力」がみなぎってきているのを感じたのだった。 「私、結界を作る仕事、お手伝いできそう」  さっそくマイヤー王子に報告すると、その日からミルヴァは王子と一緒に結界を張りはじめた。ミルヴァの聖なる力は群を抜いて強力なものだったが、マイヤー王子はこうミルヴァに忠告した。 「結界を完璧に貼る必要はない。聖なる力は使いすぎると枯渇するばかりでなく、魔法使い本人の心身にも悪影響が現れるという研究結果があるんだ」  聖なる力を使いすぎると心身に悪影響が現れる?  そんな話、ラインバルト王国にいるときには聞いたこともなかった。  もしかして、とミルヴァは思った。  ラインバルト国王やセルフィン王子たちはその事実を知っていたのではないのか。知っていて、あえてそれを隠して聖なる力を持つ魔法使いたちに限度を越えて働かせていたのではないのか。ラインバルト王国の聖女にしても、今は体調を崩してしまっているではないか。  だとすれば、ミルヴァの母が早死にしたのも、聖なる力を酷使しすぎたからかもしれない。母は聖女候補として、ラインバルトの結界を作っていた一人だったわけなのだから。 (私が体調を崩す前に聖なる力が枯渇したのは幸運だったのかもしれない。そのまま結界を作り続ければ、私も体調を崩し、最悪の場合命を落とすことだってありえたのだ) 「だからミルヴァ、結界は君の負担のない範囲内で手伝ってもらうことにするよ」  マイヤー王子は優しい笑顔を向けながら話を続けた。 「それに、この国は魔族の力で守られているところでもあるんだ」  ミルヴァの頭に「王子は悪魔に魂を売ってしまった」という言葉が浮かんできた。  何か、魔物と取引でもしているのだろうか? 「魔族に守られているとは、どういうことですか?」 「魔の森などを魔物の住処にすることで、その驚異から他国がこの国を攻められずにいるんだ。だから、結界は完全に閉じるまで張ってはならない。もちろん、結界がほとんど機能していない今の状態も問題だ。今は僕一人で結界を作っているので、とても不安定な状態だ。無理のない程度にミルヴァが手伝ってくれるなら、こんなにありがたいことはないし、この国の安全は守られることになるよ」  そういうことなのだ。魔物と共存しているのは悪魔に魂を売ったわけではなく、この国のことを考えた結果だったのだ。  そうしてミルヴァは、次第にマイヤー王子を意識し始めている自分に気づきはじめていた。ミルヴァの持つ聖なる力がマイヤー王子の役に立つと考えただけで、気持ちが高ぶり嬉しくなってしまう。ミルヴァを心配してくれるマイヤー王子の優しい気持ちがひしひしと伝わる時などは、王子のためなら何でもできる気持ちになってしまった。  そんな彼女の力もあって、ミズリーの結界はみるみる安定していった。魔物は限られた土地でしか生息できなくなり、民衆も安心してこの地で暮らすことができるようになった。そのような日々が続くと、自然に人々からこんな言葉がもれ出てくるようになった。 「この国の結界を守ってくれているマイヤー王子と聖女ミルヴァに、ちゃんとした宮殿を建ててそこに住んでもらおうではないか」  そんな言葉が人々の間から聞こえはじめると、すぐにミズリーの職人たちが集結し、あっという間に立派な宮殿がミズリーの小高い丘に建てられてしまったのだ。  二人はそこに移り住んだが、今までと変わらず慎ましやかな暮らしを続けた。マイヤー王子は、ミルヴァのことをとても大切な宝物を守るように接してくれた。けれど、二人の関係がそれ以上発展することはなかった。ミルヴァはそのことについて寂しく思ったが、こう考えて自分を納得させた。 (マイヤー王子は私に対して好意を持ってくれてはいるが、これ以上深い関係になることを望んではいない。だいたい庶民の私が王族と真剣にお付き合いするなど、ありえないことだ。身分差がありすぎてうまくいくはずがない。王子はそういったことをわきまえていて、あえて私との距離を縮めようとしないのだ)  残念だったが、王子がおそらくそういう気持ちでいる以上、ミルヴァもこの恋心をこれ以上盛り上げるわけにはいかなかった。王子への思いはじっと胸の奥にしまい込み、王子の側で結界を張れることに幸せを感じながら静かな毎日を過ごしていた。  そんなある日のことだった。私たちの宮殿に、思いもよらない人物が現れた。 「ミルヴァ、久しぶりだな」  そこにいたのは、私との婚約を破棄したラインバルト王国のセルフィン王子だった。セルフィン王子は従者を引き連れ、約束もなく突然宮殿にやってきたのだ。  応接室に通されたセルフィンは改めてこう切り出した。 「ミルヴァ、我がラインバルト王国に戻ってきてくれ」  あまりに急な申し出に、私はびっくりしてしまい、その場で固まってしまっていた。 「どういうことですか?」  代わりに、私の横に座るマイヤー王子が口を開いた。 「実は、ラインバルト王国の結界を保つため、もう少し優秀な魔法使いが必要になったのだ。ミルヴァがこちらで休ませていただいたおかげで、また聖なる力を取り戻したと聞いている。だったら、生まれ育ったラインバルトで暮らす方がミルヴァのためでもあるだろう。ミルヴァ、今すぐラインバルトに戻り、また以前のように結界を張ってくれ」 「そんな……」  ミルヴァは反射的に声を出した。 「ラインバルトにはセルフィン王子の新しい婚約者であるローラインがいるではありませんか。彼女が今、ラインバルト王国の結界を張っているのではないのですか?」 「いや、ローラインは体調を崩し、結界を張れるような状態ではない。なのでローラインは療養に専念しており、私との婚約も解消している」 (間違いなかった。ローラインも私と同じように酷使され捨てられたのだ) 「ミルヴァ、頼む。もうお前しか頼ることができないんだ。婚約は再度結ぶことにする。だから、生まれ故郷のラインバルトに帰ってきてくれないか」 「……」 「実は、ミルヴァを他国にやってしまったことで、私は他の王族たちの反感をかなり買ってしまっている。このままでは、王子の地位もはく奪されてしまいそうなんだ。頼むミルヴァ、お前の言うことはなんでも聞き入れる。私を助けると思って戻ってきてくれ!」 「そんな、自分勝手な……」  ミルヴァの濁した返事を聞き、セルフィンはイライラした調子で述べた。 「ミルヴァ、よく考えろ。お前は私の申し出を断ることなど出来ないんだぞ。よく考えろ。ラインバルトはここミズリーよりずっと強大な国だ。お前が断れば、ミズリーばどうなってしまうのか、想像がつくだろう」  そんなセルフィンの脅しを含めた言葉を聞いたマイヤー王子が、はっきりした口調で話し始めた。 「セルフィン王子、ミルヴァさんをラインバルトへ戻すつもりはありません。申し訳ありませんが、この件はあきらめてください」 「なんだって!」  セルフィンはじっとマイヤー王子をにらみつけながら声を高めた。 「こんな国、ひねりつぶしてもいいのだぞ」 「やれるものならやってみるがいい。この国に手を出すと、民衆だけでなく魔族が黙ってはいませんよ」  マイヤー王子は、平然と答えた。 「それに、ここにいるミルヴァさんと私は結婚する予定なのです。セルフィン王子にお渡しするわけにはまいりません」 (結婚する予定? マイヤー王子は何を言っているのだろう? 私はマイヤー王子とそんな話、一度たりともしたことがないのに) 「どうですかミルヴァさん、私と一緒にここミズリーの地に残っていただけませんか? そして、これからも私のそばにいてもらえませんか?」  マイヤー王子は、緊張した面持ちでそう述べてきた。心なしか声が震えていた。 「残ります。もちろん残ります」  ミルヴァは一切の迷いもなくそう返事をした。 「セルフィン王子、そういう訳です。お引取り願ってもよろしいでしょうか?」  マイヤー王子の言葉を前にして、セルフィンは眉間にしわを寄せ、顔を真っ赤にしながら無言で座っていた。だが、やがて勢いよく席を立つと、こう叫び始めた。 「お前たち、今日のことはきっと後悔する時がくるぞ! 覚悟しておくんだな!」  そして、そのまま背中を向け、従者たちを引き連れ部屋を出ていってしまった。 「大丈夫でしょうか?」  ミルヴァは不安になりマイヤー王子に聞いてみた。  するとマイヤー王子は真面目な顔でこう答えたのだった。 「僕は君をどんなことがあっても守るつもりだ。だから、心配しなくて大丈夫だよ」  ミルヴァにとってはうれしい言葉だった。  そして、つい今しがたマイヤー王子がセルフィンに言った言葉を思い返していた。 ――ミルヴァさんと私は結婚する予定なのです。セルフィン王子にお渡しするわけにはまいりません。  マイヤー王子は間違いなくそう言ったのだった。 (あの言葉は本心なのだろうか?)  そう考えると心臓がドキドキしてきたが、そんな自分をすぐにミルヴァは戒めた。 (そんなはずはない。マイヤー王子が私と結婚だなんて、そんなこと思っているわけはない。あのときはきっと、私をこの地ミズリーに引き止めるためだけに、口から出任せを言ったに決まっている)  現実を知り、あとで傷つくのを恐れたミルヴァはそう自分に言い聞かせた。  そんなミルヴァを、セルフィン王子はまばたきもせずに一直線に見つめてきた。 「ミルヴァさん、さっきの言葉なんだが」 「さっきの言葉って何でしょうか?」 「セルフィン王子に向かってあなたと結婚すると言ってしまったことです」 (言ってしまっただなんて……。やはり本心ではないのだ) 「ミルヴァさんを不快な気持ちにさせたのなら謝ります。申し訳ありません」 「別に……、謝ってほしくなどありません」  なぜだかミルヴァの目から涙が溢れ出てきた。マイヤー王子の謝罪の言葉で悲しくなってしまったのだ。 「ただ」  マイヤー王子はそこで深呼吸をし続けた。 「本当はセルフィン王子にではなく、君に、ミルヴァさん本人にちゃんと僕の気持ちを伝えるべきだったんだ。最初に君に告白ができなかったことは、本当に申し訳ないと思っています」 「……」 「だから、今、この場で述べさせてもらう」  マイヤー王子はもう一度深く深呼吸をした。王子が、自分の緊張を何とか解こうとしているように見えた。 「ミルヴァさん、僕と結婚してくれませんか。必ず君を幸せにします」  その言葉を聞いたミルヴァは、今まで目にためていた涙がこぼれ落ちてくるのを止めることができなくなってしまった。先ほどためていたのは悲しみの涙だったが、今こぼれ落ちている涙はそうではなかった。 「はい。喜んでお受けいたします」  大粒の涙をこぼしながら、ミルヴァはそう返事をしたのだった。   ※ ※ ※  結婚式は、二人だけで挙げる予定だったが、民衆がそれを許さなかった。式当日、小さな宮殿の庭園には入りきらない数の国民が集まり、マイヤー王子とミルヴァはみんなが注目する中で誓いのキスをした。シンが花束を持ってきてミルヴァに差し出した。 「ありがとう」  ミルヴァはそう言って、幼い子供からの花束を受け取ったのだった。  そのころになると、隣国のラインバルトから、こんな噂が流れてきた。  セルフィンが失脚し、王子の座を失ったというのだ。どうしてそうなったのか、詳しいことは分からなかったが、これでミズリーに対する脅威はなくなり、今後はラインバルト国と友好的な関係を結べそうな状態になった。 「ねえ」  ミルヴァはマイヤー王子にこんなお願いをした。 「いつか、ラインバルト国にある母のお墓にお参りに行きたい。行って、あなたのことを母に紹介したいの」  マイヤー王子は微笑みながらこう答えた。 「うん。近い将来、必ずお墓参りに行けるようにするよ。僕も君のお母様にちゃんとご挨拶したいからね」  二人の頭上には雲ひとつない青空が広がっていた。その澄んだ空は、このミズリーの地から隣国のラインバルトまでずっと広がっていたのだった。 (了)
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