三摘目

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 三摘目

 連休の終わり、風のぬるい日曜の夕暮れに、俺は雨水を連れて帰路についた。  カーネーションは一段落し、雨水は希望通り、十日の暇をもらった。  雨水の荷物は、十日の宿泊にしてはごく軽く、バックパック一つと――なぜか腰の高さほどの植木鉢を一つだけ抱えていた。この鉢の養分を吸えば、急場をしのげるらしい。 「接ぎ木で作った、特別な木なんだ。強い生命力があって寄生にちょうどいいし、しかも見た目は一般的で誤魔化しがきく。」 「接ぎ木……」  俺は雨水が人間の園芸の技術を利用していることに少なからず驚いた。ひょっとして、植物である彼らにしか知り得ない技術もあるのかもしれない。  植木鉢は立てた状態で俺の車の荷台に収まったが、先端が天井について少し窮屈そうだった。荷物と、雨水と、植木鉢を乗せて車を出す。バックミラーの中でゆらゆらと細い葉が揺れた。  日が傾いて黄色くなった空の下、高速を走り抜ける。  実家から俺のマンションへは、高速を使っても二時間はかかる。  よくもこんなところに月イチでかえってくるもんだ。  雅也から逃げる口実として使っていたが、それも口先だけでも良かったはずだ。往復五時間弱をかけるには、少々タイムパフォーマンスが悪い。  ある意味、俺も逃げていたのかもしれない。  こうして住んでいる場所、会社のある場所を離れることで、雅也だけでなく、他のあらゆる現実の問題から。  そんなことを静かに考えながら、アクセルを踏み続けた。  山に差し掛かったところで、俄雨(にわかあめ)に降られた。  雨水は穏やかな顔でフロントガラスにつたう雨筋を眺めていた。もともと、雨季と乾季しかない場所で生まれたらしい。雨、という字がよく似合うと思った。 「雨水って名前は誰がつけてくれたの?」 「君のお母さんだよ、」  思いがけない返事だった。眠気覚ましの飴が口から飛び出しそうになる。 「ウソ?」 「本当さ。元々俺に名前なんかないんだ。だからその土地その土地で、好きな名前で呼んでもらうようにしてる。お母さんは季語が好きなんだね。冬尽くんも泉ちゃんも、季節の言葉だって。俺の名前も、同じようにつけてくれたんだ」  ひょっとして母は、雨水のことを何か気づいているのかもしれない。  気づいていながら、息子二号、なんて言って可愛がっている。俺も泉も実家を出て久しい。寂しいのだろうか。  俺はちらりとその横顔を見た。すっかり暗くなった外の闇が、彼の白い鼻梁を浮き彫りにしていた。それはどこか寂しくて、頼りのないシルエットだった。  この人を隣で支えたい、と思わせるような。  間もなく、俺の住む街に入っていく。高速は海を見下ろす形で続いていて、埋立地に建つビル街や、マリーナ沿いにそびえ立つ観覧車がよく見えた。  雨水の目に、この景色はどう映っているのだろう。彼が産まれたという遠くの国の林とも、さっきまでいた九来里の里とも、色も風の匂いも何もかも違う。 「どう、この街は」 「光っていて、とても綺麗だね」  振り向いた彼の瞳は、街から溢れる灯りで星のように輝いていた。
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