85人が本棚に入れています
本棚に追加
車を停めて外に出る。
未舗装の路面を踏みしめると、靴裏に芽生えたばかりの草の柔らかさを感じた。都会にはない青い匂いが鼻の奥を爽やかに抜ける。
「冬尽ー!お帰りー!」
ハウスの向こうにある作業場から、母が俺を呼んだ。相変わらずよく通る太い声だ。
そばに行くと、父も一緒だった。
台の上には白く可憐な小花と瑞々しい青葉が広がっている。
「へいへーい、ただいま帰りましたよー。」
「元気そうね。うすいくん、二号ハウスにいるから後で声かけてきなよ」
さっそく、うすいくんである。なんだか気が進まない。
「あとでね。――父さんそれ、コデマリ?調子いいの?」
「おお。思ったよりはいいぞ。今年は去年の売上を超えそうだ。組合も全体で枝ものを推すらしい。ブームで終わらなきゃいいがな。まあしばらくは様子見だな」
「ふーん。フィジビリってわけ」
「お前、相変わらずわけのわからん横文字使いおって」
父が思いっきり顔をしかめた。年相応の皺ぶかい顔がいっそうくちゃくちゃになる。母が鋏を置きながら笑った。
「冬尽は都会っ子さんね。ああそういえば、泉は今日は来れないって。あの子も忙しいわねえ」
「泉が?まあ、福岡からだもんね。毎日残業だって言ってたし。」
「そうね。そのぶん、うすいくんがきてくれて、ホントに助かるわぁ」
うちの農園で人を雇うのは随分久しぶりのことだった。
両親の営む花農園〈木場花卉園〉は、ここしばらく冬の時代が続いていた。輸入品の台頭、そもそもの需要の減少。加えて父は一度腰をやっていた。
一時は従業員も皆解雇し、ハウスもいくつか売却して、完全家族経営にまで事業を縮小したあげく、俺や妹の泉が大学に出てからは、父母がたった二人で作業をしていた。
それでも廃業にせず、細々と続けている。
自分たちで立ち上げた農園に愛着があるのはわかるが、何もそこまでやらなくてもいいのに。
それなのに、どうやらこの数年、コデマリなどの枝ものを始めてから少し持ち直し、父も母もわりと前向きだった。うすいくんとやらを雇ったというあたり、やる気がうかがえる。
一度、なぜそこまでこだわるのか聞いたことがあった
『他にやることがなくなっちゃうだろ』とのことだった。
まあ、気持ちは分からないでもない。
俺だって、今仕事を辞めてしまったら、他に何をしていいのかまるで見当がつかない。
ふいに、爽やかな風が、トタン屋根をつけただけの作業場を吹き抜けた。散ったコデマリの花弁と葉が、光りながら台を流れていく。
「うすいくんはいい子だよ。よく働く。ちと体が弱いが……花は抜群に詳しくて、こっちがびっくりするぐらいだ。お前、コデマリのことはうすいくんに教わっとけよ」
父は言い終わるとコデマリを置き、首を大きく左右に倒した。父の細い肩がゴリゴリと鳴る。
「そろそろ休憩すっか。最近肩が凝ってしょうがないわ。」
「そうしましょ。さ、冬尽、うすいくんに挨拶がてら声かけてきてちょうだい。ほらほら、行った行った」
最初のコメントを投稿しよう!