★四摘目

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 定時で上がって、家路についた。  携帯には母からメッセージが入っていた。明日、雨水の休暇が終わり、再び九来里に戻る運びになっていた。かねてより調べてあった電車の時間を、母には返信しておいた。  夕陽に陰る公園のそばを通り抜ける。青臭い匂いの中に、どこか濡れた砂の匂いが混じっていたので振り返ってみると、すでに背後から分厚い雲が迫っていた。今夜は雨予報だった。  マンションの部屋の扉を開け、ただいまをいう。夕闇に沈むベランダで、動く影があった。  雨水はゆっくりと立ち上がり、窓を開けて部屋に戻った。 「……冬尽くん。おかえり。会社、どうだった?」  カーテンが揺れ、雨水の曖昧な笑顔をところどころに隠していく。 「雨水さん、」  その次の言葉が出てこなかった。  気持ちばかりが膨れ上がって、どこから言葉にしていいのか分からなかった。  リビングの入り口でうずくまる。 「冬尽くん?」  彼の足音が聞こえる。すぐそばまで歩み寄り、そのまま、俺の前でしゃがみこんだ。 「どうしたの。」  俺の顔を覗き込もうとしているらしい。俺はうつむいたまま、わざと冷たく雨水を払い除けた。  雨水がピタリと止まる。 「なんで泣いているの」 「……、」  彼はいたく狼狽しているようだった。  もっと困らせてやりたかった。そうすることでようやく、今までと違う関係になれるような気がした。  ゆっくりと彼の胸にもたれかかる。彼の胸元からは、いつもの甘い樹木の香りがした。  雨水が戸惑いながら俺の背にそっと腕をまわす。 「泣かないで。」  俺は顔を上げ、その目を見つめながら、指を差し出して雨水の唇に触れた。 「冬尽くん……」  雨水が何か言おうとする前に、その唇に口づけた。  雨水は最初、その口づけを従順に受け入れていた。この間の続きだと思っているのかもしれない。だが唇を割り、舌を入れると、そこでようやく彼は俺の思惑に気づいたらしかった。ピタリと口が止まり、身体をこわばらせ、ややあって俺を押し返そうとした。  俺はそれを受け流しながら逆に雨水を床に押し倒し、その上に乗った。  彼の細い髪が床に広がり、困惑した眼差しがこちらを見つめ返す。  あまりに美しく、倒錯した光景に、俺は言葉を忘れてもう一度口づけた。唇に、首筋に、胸元に。彼の肌に鼻を寄せるたび、全身から芳しい香りを感じた。黒い男たちを誘い出す香りだ。  そいつらには渡したくない。  自分だけのものにしたい。 「……俺、できないよ。」  彼のみぞおちを撫で、臍から下へ指を滑り込ませて、彼自身に直に触れる。そこは柔らかいままだった。彼の言う通り、身体は飾りで、なんの機能も持たないのだろう。 「おねがい、離して……」  雨水の声に一言も答えないまま、俺は指で彼を愛撫し、それに倦むと足の間に顔を寄せ、口で吸った。快楽のない彼にとって、それはきっと不快な感触に違いなかった。  舐めながら指を後ろへと挿し入れると、引きつったような息の音がする。  それが官能的に聞こえてしまったあたり、俺はもう引き返せないのだと思った。 「やめて、」  俺は繰り返そうとしている。雨水に永遠の後悔を植え付けた男と、同じことを。それがどれだけ残酷なことなのか、互いによくわかっているはずなのに。 「雨水さん、……口、開けて」  身体を起こし、彼の顔を跨ぐようにして膝をつくと、今度は自分のものを雨水の唇にあてがって、圧し入れた。頭を掴んで腰を揺する。雨水は苦しそうにして咥えながら生理的な涙を流した。  その光景にくらくらしてしまいそうだった。濡れた腔内が心地よい。今は、今だけは、彼は俺のものだ。  これが、  これが俺の望む深いつながり、気持ちの共有なのだろうか。  こんなの間違っている。  やめたいという気持ちと、手に入らないのならこのまま壊したいという気持ちが拮抗し、気持ち悪いぐらいに腹の底を這いずり回った。  口から引き抜き、彼の腰を乱暴に抱えて、さっき指を挿し入れたその入り口に自分自身の先端をあてがう。  もうやめよう、こんなこと、 「俺、きっとおかしいんだ。……足りないんだよ、なにか、みんなが当たり前に持っているものが。雨水さんならわかるでしょ。ねぇ、助けてよ」
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