★一摘目

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★一摘目

「なーんか、知らない間に人が増えててさぁ。」  ユウウツですわ、とボヤキながらウインカーを点ける。  対向車を見送って交差点を曲がると、真昼の田舎町の退屈な町並みが歪んでいく。さっきまで高速に乗っていたせいで、景色が妙にのろのろと流れていくような気がした。 「今日初めて会うんだよね。、とか何とかいう」 『お前そんなに人見知りだっけ?しょーがねーやつ』  車載スピーカごし、雅也(まさや)が馬鹿にするように笑った。実際馬鹿にされていると思うが、いつものことなので別段憤りも感じない。 「久しぶりなんだよー、家族以外が実家にいるの。昔勤めてた人はみんな辞めちゃったし、」 『ふーん。』  あからさまに興味のなさそうな相槌だった。これもいつものことだ。雅也にとって一番興味があるのは自分の話題で、次が他人の噂で、世間話はその遥か下だ。早く電話を切りたい。  こちとら本当に憂鬱で、雅也に構ってる暇なんかないのだ。  数年間家族水入らずだった実家の農園に、見ず知らずの男が仲間入りする――しかも、住み込みで――そんな話を母から聞いたのはつい昨日のことだった。帰省直前に告げられたので、心構えをする時間もなかった。おかげで俺はというのが名字なのか名前なのか、どういう漢字なのかすらわからない。  とりあえず、若い男だと聞いている。  どんな人なんだろう?  面倒な人でなければいいが。 『――あぁ、そういえば辞めたっていったらさぁ』  なにか嬉々とした様子で雅也が話を変えた。 『聞いた?芳昭(よしあき)のこと。あいつ会社辞めたよ』 「え、」  片手で飲んでいたアイスコーヒーの味が消失する。  辞めた? 『お前その感じ、人事異動一覧見てないだろ。今月末で退職って出てたぞ。もう有給消化に入ったから、退職日まで出てこないってよ。てか仲良かったよな?聞いてなかったの?』 「全然……、」  俺の頭の中から雅也のこともうすいくんのこともストンと抜け落ち、かわりに芳昭のことでいっぱいになる。 『ふーん。ま、同期の誰も事前に聞いてないらしいけど。』 「そう……、」  先月俺と芳昭でランチに出たとき、特に変わった様子はなかった。彼はいつも通り好物の〈丸屋〉の塩ラーメンをすすっていたし、話題は当時担当していた案件の具合と、いけ好かない同僚の小ネタと、最近のバイク旅の成果についてで、退職のの字も出なかった。  電話も、チャットも何もない。  所詮俺とはその程度の付き合いだったということだろうか。  自分としては芳昭とそれなりに良い関係を築いていたと思っていただけに、ちょっとショックだった。 『まぁ、言いたくなかったのかもしれねーなぁ。冬尽(ふゆつぐ)さ、あいつの転職先知ってるか?……飲食店らしいよ』 「飲食店?店立ち上げたの?」 『違う違う。バイト。』  ただの、にうっすらと侮蔑の色が見えた。 『意外だよなぁ。あいつ、新入社員のときに自己紹介で〈将来は独立したいと思ってます〉とかなんとか言ってたよなぁ。』 「どうだったかなぁ」  雅也が嬉しそうだった訳はこれだった。彼は同じコンサル会社で同期入社したの芳昭のことを一方的にライバル視していたので、芳昭が変なところに転がる話は大好きだった。  まあ、雅也にとっては他のどの同期もライバルだったし、同期たちの半数はそういう雅也をやや煙たがっていた。  俺が雅也に警戒されないのは、彼にとって脅威になるような才能が何もないからだ。  ため息を付きながらヘッドレストに頭を預ける。  俺だって好きでこいつと仲良くしているわけではない。  雅也や芳昭や、それに及ばずとも優秀な同期同僚たちと違って、俺は「その他多数」の社員に過ぎない。多分、一生誰かの下で飼われると思う。  飼われるならせめて、この先大きくなりそうなやつがいい。  だから、俺は芳昭にも雅也にもしっぽを振ることにした。  保身。  悪いことはしていない。生きるために必要なことだ。  逆に言えば、それ以外の目的で彼らに近づくことはなかった。変に気に入られて、滅多矢鱈に絡まれるのも御免だ。 「ぼちぼち切るね。もー家見えてきたわ」  特に雅也は、ちょっと懐いた素振りを見せた途端、すぐに近寄ってきて、こうして休日に電話までかけてくる。  だから、帰省などを口実に適度につきはなさねばならない。  この絶妙な距離感を保つ努力を、俺は他のあらゆる同期、同僚、友人にし続けていた。  おかげさまで、仲の良い友人などはおらず、代わりにそうたいして愛着があるわけでもない実家に、月イチで帰省する羽目になっている。  実家で雇ったというそのとやらとも、そういう距離の調整をする必要があるだろう。  めんどくさい。 『楽しんでこいよ。じゃーな、』  車内は一気に静かになった。  信号待ちの手持ち無沙汰に、アイスコーヒーをすすった。知らないうちに全て飲み干していて、ストローからはコーヒー味の空気が虚しく口に入り込んできた。  車は市街地を抜け、畑とビニールハウスが連なる農業地帯へと入っていく。空は春らしく砂色に霞んでいて、どこか白昼夢を見ているみたいだった。  サイドウインドを下げる。入り込む風は、少し湿った土の匂いがして、思ったよりも冷たかった。  〈木場(きば)花卉園〉と大きく書かれた看板が見えてくる。田畑に囲まれた開けた土地に、古びた二棟のビニールハウスが相変わらずのんびりと建っていた。
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