準備がよすぎる中本くん

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 花見の場所取りは管理部の仕事――、いつからかそれが暗黙の常識となっている。昭和の頃から続く因習で、美咲にとっては撲滅したい業務リストの最たるものだ。 「管理部って社内のあらゆる雑用を突っ込まれる部署だから、行事関係の段取りは大体させられるんだけどさぁ――」  美咲は深い溜息をつく。 「通常業務だけで手一杯なのに、週末にわざわざやる花見なんて完全に業務外なんだけど。ほんと腹立つっていうか……、そんなもんは宴会好きの有志にやらせろよ、有志に」  長年思い続けてほとんど呪詛になっているせいか、愚痴を語りだすと止まらない。 「そりゃあ、私だって中本くんの年の頃は、土日に一日中外を出歩いたって月曜には元気に出社できたよ? でもこの年で、週末の貴重な休養の時間をこんなことに削がれるの、耐えられないんだけど! ……ってか、そもそも会社行事としての花見ってやる意味ある? コロナで中止が続いてせいせいしてたのに、なんで復活するかな。なくてよくね? ――って、あっ」  ハッとして口をつぐむ。美咲のすぐ隣で地べたに胡坐をかいている中本に目を向けると、「うんうんそれで?」と言わんばかりのニコニコ顔で話を聞いてくれている。 「ごめん。つい愚痴ってしまって」  それも普段ほとんど絡みのない、別部署の若い男の子に! 「いえいえ。……広岡さんって実は饒舌だったんですね。去年、研修でお世話になったときは静かでクールな印象だったから、ちょっと意外な感じです」  クールな印象? ちょっと意味が分からない。 「ま、まぁ、それは。さすがにぴかぴかの新人さんを前にこんな悪態つけないでしょ」 (……いや待て。クールってのはつまり、冷たいってことでは?) 「あの……。それってもしかして、上からっぽかったってことかな」 「えっ?」 「いや、来月からまた新人研修を担当するから、参考までに聞きたいんだけど。中本くんが感じたクールってのはさ、若い子からすればとっつきにくいとか冷たいとか、そういう感じに見えたのかなーって」  意味が分からなかったのか、面食らったような顔で中本はしばらくこちらを見ていたが、「確かに、クールを直訳すれば冷たいって意味ですけど」と言うなり、椅子の肘置きに手を掛けて、こちらに身を乗り出してくる。 「ここでは英語の俗語で、『かっこいい、イケてる』みたいな意味を採用してもらえばと」  ほら、ここに書いてあるでしょ? と言いながらスマホで英語の辞書アプリを見せてくる中本に、美咲は「な、なるほど」と相槌を打つ。 (うーん、その辺は適当に流してくれてよかったんだけど……。生真面目な子だなぁ) 「言われてみれば、研修の時って、いい先輩、いい職場を演出してるところはあるかもね。入社した途端、若い子に辞められたら困るし、頑張ろうって思ってる子たちの気持ちを最初から削いじゃうのは良くないから。……でもま、入社十年を過ぎちゃうとさぁ。残念ながら中身はこんなもんですよ」  自嘲混じりの言い訳をすると、中本は「分かります。本音と建前を華麗に使い分けるプロ意識、さすがです」と大真面目な顔で頷いた。 (いや、分かるんかい。解釈が良心的すぎて、逆に不安になるわ)  こちらの当惑に気づく様子もない中本は腕時計にちらりと目を落とすと「あっ」と小さく声を漏らした。 「あの……、すみません。少し席を外していいですか? すぐ戻ってきますんで」 「う、うん。どうぞどうぞ。行ってらっしゃい」 「では、ちょっと失礼します」  ぺこりと頭を下げると、中本は公園の入り口へと続く遊歩道を小走りで去っていった。
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