準備がよすぎる中本くん

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「……――広岡さん、」  肩をゆすられて、ハッと気が付く。 「あっごめん、うとうとしてた」  足元が暖かいせいか、うつらうつらとしている間に、いつの間にか中本が戻っていた。 「これ、よかったらどうぞ」  手渡されたのは、コンビニのホットコーヒーだった。 「あ、ここのコーヒー美味しいよね。貰っていいの? ……っていうか、中本くん、一体どこまで行ってたの」 「この公園からちょっと歩いたところにパン屋さんがあって。朝八時に開店なんで行ってきました」  中本は抱えていた白い紙袋をごそごそと開けて、中を覗き込む。 「時々買うんですが、朝は特に焼きたてで美味しいんですよ」  そう言いながら、袋の中から次々とパンを取り出してくる。 「ピザパン、ホットドッグ、白桃のデニッシュ、く、くろっく……」 「クロックムッシュ?」 「あっそれです。あと、シンプルなやつが良ければ塩パン、くるみパン、クロワッサンなどもありますが」 「えっ、めちゃくちゃ買ってない?」 「広岡さんの好みがわからなかったので、あるものを色々買ってみました」 「いや、好みなんて何でも。貰っちゃっていいの……?」 「もちろんです。――あっ。もしかして、お好みのもの、ありませんでした?」 「いやいやいや! ……じゃあ、塩パン頂こうかなぁ」  礼を言って塩パンを受け取ると、確かに焼きたてらしく、まだホカホカしている。ひと口齧ると、外側がかりっとしていて中は柔らかく、しっかりした塩気を感じたあとにバターの香りがふわりと漂ってきた。 「あー、確かにこれはおいしいや」 「でしょ? ――良かった、気に入ってもらえて」 「なんかごめんね。村上にこき使われた挙句、私にまで気を遣ってくれたり、こんなことまでしてもらうなんて、申し訳なさすぎて」 「いえいえ。……本当は、コーヒーは自分で淹れたやつを飲んでもらいたかったんですけど、この公園、火気禁止なんで」 「えっ?」 「もしもバーナーが使用可能だったら、もっと気合いを入れて、広岡さんに心地よい時間を提供できたのになぁって」  中本の言葉が理解できずにポカンとなっていると、彼も美咲の顔を見るなり「あっ……」と呟いて固まってしまった。 「もしかして俺、やりすぎてます?」 「ううん、そんなことないけど……、そんなに親切にしてくれる理由が分からなくて」 「ええと、それは……、久しぶりに広岡さんとお話できるから、去年の春にお世話になったお礼に、少しでも何かできればと思って……それで」 「お世話? したっけ?」 「はい。研修で」 「あー、そんなの全然。仕事なんだから当然だよ」 「そうかもしれませんけど」  中本は手にしたコーヒーに目を落として、恥ずかしそうに微笑んだ。 「入社当初、海外事業部の同期がみんなすごく見えて、俺、ちょっと自信をなくしていて。そんな時に助けられたんですよ、広岡さんの言葉に」 「……そんなことあったっけ?」 「はい。とてもいい話をして頂きました」 (なになに。何を言ったんだ私!)  悪いがまったく覚えがないし、思い出すのもなんだか怖い気がする。 「そっか……。分かんないけど、多分、偉そうに恥ずかしいこと言ったんじゃない?」 「そんなことないですよ」 「何を言ったかは教えてくれなくていいからね。ほら、さっき話したでしょ。その時の私、『演出モード』だったんだよ多分」  中本はハハッと笑った。 「そうかもしれませんけど。でも、そのおかげで一年経った今もこの会社で頑張れているところがあるので」  美咲を見上げると、中本はまっすぐにこちらの目を見つめた。 「広岡さんにはとても感謝しているんです。ありがとうございます」  落ち着いた真剣な口調に、思わずどきりとする。 「いえいえ、そんな……大したことは」  恥ずかしくなった美咲は、思わず目を逸らした。
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