準備がよすぎる中本くん

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 ごそごそと椅子をずらすと、美咲はまっすぐに中本と向き合った。 「あの……、ごめん。そういうことを言われるのに慣れてなくて、どんな顔すればいいか分からないんだけど。でも、そう言ってもらえて嬉しいよ。ありがとう」  美咲の言葉を聞いて、不安げだった中本の表情がふっと緩んだ。 「いいえ、こちらこそたくさん助けていただきました。ありがとうございます」  そのとき、遠くから「広岡さーん」と呼び掛けられる。見ると、遊歩道の向こうから経理部の真野が手を振っていた。 「あっ、真野さんだ」 「もうすぐ九時か……、早いなぁ」 「中本くん疲れてるだろうし、後のことは私たちがやるから、もう帰って休みなよ。花見は自由参加だからね。気が向いたらまたおいで」 「はい。椅子と寝袋は置いていくんで、良かったら引き続き使ってください。俺、また後で引き取りに来ますんで。……あ、ところで、広岡さん」 「ん?」  謎の距離感を発動する中本にしては珍しく、目を泳がせて言い淀んでいる。 「あの……、火気OKな場所を探しておくんで、良かったら次は俺が淹れたコーヒー、飲んでもらえませんか」 「えっ?」 「あっ、土日はお疲れでしょうから、連休などあればどこかで一日頂けたら。もちろん他の人も誘ってくれていいので! ……つ、つまりは広岡さんとまたお話できる機会があればな、と思って……」 「ふーん。……そう?」 (同じ年代の子たちと話すほうが楽しいだろうに。なんで私?)  中本の意図が分からなくはあったが、「いや、そういうことなら週末飲みとかでよくない?」と提案してみる。すると中本は雷に打たれたような顔で「あっそうか。その手があったか!」と声を上げた。 (いや、普通真っ先に思いつくのはそこだろ!)  美咲は思わず笑ってしまう。 「中本くんって村上と仲いいんだよね? じゃあ、あいつも誘って今度一緒に飲みに行こうよ」 「えっ、いいんですか?」 「うん、別に全然。中本くんがコーヒー淹れてくれるのも楽しそうだけど、今日の感じからしたら、準備とか大変そうだからさぁ」  くすくす笑っていると、中本は「あ……、なんか必死すぎましたかね、俺」と言って照れ笑いを浮かべた。  ちょうどそのとき、背後から「おはようございまーす」と真野の声が聞こえる。 「あれっ、村上くんかと思っていたら。きみは確か、海外事業部の」  中本は真野を振り返って、「おはようございます、中本といいます」と生真面目に挨拶する。 「場所取りご苦労さまです。――じゃあ俺は、一旦帰らせてもらいますね」  晴れ晴れとした笑みを浮かべて「失礼します」と頭を下げると、中本はバックパックを背負って帰っていった。  
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