変わる世界とゆく桜

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「へぇ、やっぱり伐ることになったんかい」  寛一は床に落としてしまった将棋の駒を探そうと、机の下をのぞきこんでいる。洋介が、ほれ、そっち、と指さしながら、昭男に視線を送った。口を開けると、今日も入れ歯がないのが見て取れる。 「そりゃ、さみしくなるねぇ」 「まぁ、管理も大変らしいからな」  昭男は腕組みの姿勢でそう答えた。  あの日以来、綾子がどうも愚痴っぽくて困っている。愚痴をこぼすだけならまだしも、嫌味や当てこすりも混ぜてくるのが、どうにも耐えがたい。妻はこんなに嫌な女だったのだろうか、とすら思う。  だが内容を聞いていると、どうやら自分が悪かったらしい。  綾子はずっとこういう話をしていたのに、聞いていなかっただけ──らしい。  自分が悪い、ということをまだ飲み込めずにいるが、昭男は甘んじて妻の話を聞いている。脳裏には、庭の桜の木がある。気づかないでいるうちに、伐り倒さねばならないまでに腐ってしまった、桜のことが。 「そういや昭ちゃん、眼鏡つくったんかい」  洋介に言われて、昭男はポロシャツの胸ポケットに引っかけてある眼鏡に手をやった。最近、なんとなく持ち歩く習慣になっているのだ。  そういえばあれ以降、地域センターで悠斗の姿を見かけない。二人に水を向けてみると、洋介が笑う。 「忙しいんだろ。なんせシャチョーさんだからねぇ」  寛一もハンケチで禿頭を拭いながら言葉を重ねた。 「そうそ、はるくんも、あんななりして努力家だから」  昭男が知らないところで、彼は彼なりに一生懸命やっているらしい。  眼鏡のことを恩に着るわけではないが、就職祝いでも贈ってやるのもいいかもしれない。  また負けが多かった昭男は、将棋盤を受付まで返しに行った。職員は貸出簿をつけると、きびすを返しかけた昭男を呼び止めた。 「眼鏡をお忘れですよ」  昭男が意味を取りかねていると、職員は、受付カウンターの隅から、透明なプラスチックトレーを持ち上げてみせた。そこには二つ、眼鏡が入っている。縁はそれぞれ黄色とべっこうだ。どちらの眼鏡も、右レンズのふちに赤いビニールテープがついている。昭男のものと、同じように。  トレーには、こう書かれた札がついている。   <老眼鏡 ご自由にお使いください>  昭雄は、悠斗に声をかけられたとき、掲示板の前でお知らせを読んでいたことを思い出した。 「あの若造め」  回りくどい言い方をしよって。  内心の声ほどに、憎々しい気分にはならなかった。職員に示され、トレーの「弱」と書かれた場所に、眼鏡を戻す。  なぜか晴れやかな気分で、昭男は地域センターを後にした。
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