第六の手紙

12/13
20人が本棚に入れています
本棚に追加
/47ページ
 「美しいだろう」  ふいに頭上から声を掛けられて顔を上げると、目の前に主人が立っていました。彼もあの光景を見ていたはずなのに、怖がる素振り一つ見せず、むしろ微笑みさえ浮かべているのです。  「安心しなさい、あれは結城家の人間には手を出さない。それにあんな風に、月に一度人間を食わせてやれば、一族に繁栄をもたらしてくれる。まさに奇跡の桜だ」  首筋に氷塊を押し当てられたように、全身にぞっと寒気が走るのを感じました。  結城家が孤児を受け入れていたのも、キヨちゃんが私に何も告げずに姿を消したのも、全てあの桜のせいだったのです。それに何よりも恐ろしかったのは、私が今の今まで、この屋敷で安穏と暮らしていたことです。私の幸福が、数多の犠牲の上に成り立っていることにも気づかずに。  「そんなもの、奇跡とは呼びませんわ…」  私は吐き気が込み上げてくるのを懸命に堪えながら、息も絶え絶えに言いました。  主人はしばらくの間、感情の無い真っ黒な目で私を見つめた後、  「残念だよ」  そう言い残して立ち去って行きました。  ごうごうと鳴り響いていたあの音はいつの間にか途絶え、枝垂れ桜も元の美しい姿に戻っています。私ただ一人だけが、月光の降り注ぐ庭園に、ぽつねんと取り残されておりました。
/47ページ

最初のコメントを投稿しよう!